久々に腰が痛くなって、
いつもお世話になってるゴッドハンドの先生に診てもらったら、
やっぱり、
一発で治ってしまった!
毎日、いろんな才能、
いろんな命に支えられ、
生きながらえております、
高橋ナナです
さて、
前回の記事に、たくさんのコメントありがとうございます、
コメントの中がもはや講座みたいになってる 笑
なので、それを読むのもよし、
読まないのもよし 笑、
講座に参加してくださった方に関しては是非、
私じゃなくて、
自分の中心に問いかけてみてください。
自分への問いかけ方は、
テキストに書いてあります。
外から情報を取るというクセを断ち切ると、
自分の中から答えがやってきて、
それをサポートするように、
確信させるような情報やツールが、
まるで答え合わせのように外側からやってくるということが起こってきます。
(今回の講座のNewtonはまさにそれ)
さて、あの会場には、
250名の方がいらっしゃり、
こないだの記事を読んでくださった方が何人いるかはわかりませんが、
それぞれの気づきの段階があり、
それぞれのタイミングがあり、
誰がどのような感覚を持ったかは知る由もないし、
知る必要もないし、
どれが良くてどれが悪いなんてものもないし、
正解もないし、
優越感も、
劣等感も抱くことなく、
ご自身の中から湧いてくる感覚を、
ただただ見つめていればいいだけです。
講座の8時間や、
こないだのブログを、
あれもこれも踏まえてまとめるなら、
この記事のタイトル、
誰でもない自分をただ生きる
に限ります。
文字にするとなんともシンプルな一言ですが、
これにはものすごい愛と覚悟が、
やっぱり必要なんですよね。
誰でもない自分を
なす術もなくただ生きる
いつも「特別でありたい」、
「特別じゃなきゃ生きていけない」、
「何かにならなきゃいけない」、
満たされることなく、
欠乏感が生きるガソリンになっている、
常に欲求不満のエゴにとってはどうしようもないほど、
怖いことです。
でも、誰でもない自分を生きるってね、
世捨て人になれってことじゃなく、
価値とか、
理由とか、
意味とか、
そんな窮屈なもんに縛られない、
無限の可能性の自分を生きる
ってことなんです。
特別になろうとする
誰かよりすごい自分になろうとする
何者かになろうとする
自分が何かをしなけらばならない etc...
中立や中庸からズレ、
「私」「個人」という小さいエネルギーに収縮させ、
制限を生む、
これらの思考にフォーカスしなくなると、
「無限」っていう本質が現れます。
本質というのは、「無我」。
そして個別の命なんてものはありません。
全体があるだけ。
その全体としての自分を生き始めた時に、
偏りが消えて、
宇宙、森羅万象と同調し、
適材適所の担当、
役割分担が天から割り振られる。
誰でもない自分であるって、
価値や意味や理由を超えた存在で在るという意味。
だから、
VIVA無意味なんだよなー。
価値や意味にフォーカスすればするほど、
境界線(個)が強くなっていって、
どんどん小さくなってく。
だから「これをやるからこの現実くれ」という、
「何かのために何かをやる」ということしかできない”取引人生”や、
ご利益やご褒美を求め続ける”物乞い人生”を続けて、
何をどれだけ手に入れても、
満たされない!を繰り返す。
誰かであろうとしなければ、
「やるべきこと」だけにフォーカスしなくなるから、
いろんなことが起こるんだけどな。。。
私が「母」や「妻」である自分にフォーカスしなくなったからこそ、
茶碗洗いしようとすると、
「余計なことしないで!仕事して!」と、
旦那に怒られるという現実も、
ようやく起きることができる 笑
まぁ、全部決まってんだけど。
でも、この話を読むのさえも決まってる。
そうそう、
全ては、
ビッグバンが起きた約138億年前に決まってる、
宇宙はスタートした瞬間に完了してるみたいなことを言ってたけどさ、
実はこの話には続きがあって。
本当に凄いんだけど、
この現実(というイリュージョン)は、
スナップ写真のように、
毎瞬創られ、
毎瞬ゼロポイントにリセットされてるわけだけども、
そうなると、
理論的には、
ビッグバンさえも、
毎瞬起こってることになるんだよね。
「今」の時点から人間の尺度でいう138億年分さかのぼって、
毎瞬「ビッグバン」という現象が、
収束(物理化)してるということになる。
こんなおもろい世界にさ、
肉体持って遊んでいられるだけで、
ホント凄いことだよね。
なんてありがたいんだろうって思うし、
「生きる」以外にやることなんてないなって思わない?笑
でもね、
「生きる」って、
「生き延びる」とは別物。
「生き延びようとしなければ生きられない」
と勘違いして、
食い扶持稼ぎに一生翻弄しなければいけないと思い込んでるのは、
ものすごく古い時代の、細胞レベルのクセ。
このブログでも本でも、
何回も言っているけど、
今、この時代の日本に肉体持ってる人は、
このゲームはもう終わってる。
最後に、
私が小学生6年生の時に、
これを完璧に暗唱しなきゃ卒業できないと担任に脅され、
今でも暗唱できるという特技になってる、
文章を。
まさにこれ。
フォレスト・ガンプ。
森羅万象、
完全ナチュラルなあり方。
「雨ニモマケズ」 宮沢賢治
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
誰でもない自分を、
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