私事で、大変恐縮なのですが、


実はおととい、


私の祖父が亡くなった。



95歳だった。



その日、目が覚めたとき、


何故か、


「あ、おじいちゃんが死んじゃった・・・」と感じた。




私が最後に祖父と会ったのは、


3月に新潟に帰った時だ。




祖父は90歳の時、脳溢血で倒れてから、



右半身不随になり、歩けなくなったが、



もう90歳だったのに、


一度は歩けるようになるまで回復し、


その気合いに、周囲や家族みんなが驚いた。



私が上京してから、


お盆などに帰省し、遊びに行くと、


いつも祖父は、



「ナナ、アヘンはやるな。」



と言った。




祖父は戦時中、満州で医者の手伝いをしていて、


負傷し、痛み止めの換わりに、


アヘンを使わなければならない患者を沢山見てきて、


アヘンはめちゃくちゃ怖いものだからといつも言っていた。




東京はなんでもありの怖い所で、


孫が変なクスリに手を出さないよう、


注意をしてくれていたのだと思う。




その祖父が死んだ。


まだ、祖父に借りたお金を返してないのに死んだ。




3月に会ったとき、


握り返してくれた、


手の力強いぬくもりを、


今もまだ、ハッキリ覚えている。





人の死に関して、


私は、「悲しいこと」だとは思っていない。




人は、生まれる前に、



自分の名前も、



経験したいことも、



そして、



寿命すら、



自分で決めてから、



生まれて来ている気がする。





そして人は死ぬと、


本当の故郷、本当の家に帰るような気がするからだ。




死ぬことは決して終わりではなくて、


むしろ始まりな気がするし、


「死」は「生」の一部だとも思う。





そして、死によって奪われるのは肉体だけで、


心と魂は永遠に生き続けるんだと思う。





お腹空いたり、眠くなったり、


いろいろと制限のある肉体から離れて、


自由に、とても軽くなって、


故郷に帰る気がする。





そして、誰かが先に死んでも、


私が死ぬまでの間の、


「しばしの別れ」というだけな気がする。





だけど、


悲しくて、


やっぱり泣いてしまう。




悲しくないと思い込んでみても、


勝手に涙が出てきてしまう。




でも、


この言葉を思い出した。




インドの「ニルマル・ヒルダイ(死を待つ人の家)」で、


マザーテレサと共に働いていたシスターが、


死に直面してショックを受け、


泣いていたボランティアにかけた言葉だ。




ここは、死に行く人々のためのものです。



ここで泣くのは、



自分勝手なことかもしれませんね。



泣くというのは、



自分自身のことを思うからであって、



彼らが今どこにいるか考えて、



泣いているわけではないのですから。



彼らは神と一緒にいるのですよ。



私たちは彼らのために、



幸せでいなければならないのです。





祖父に感謝をしたり、


長い入院生活、本当にお疲れ様ね!と、



祖父の人生を尊敬し、



ねぎらわなければならないこの時に、



自分が悲しいからって理由だけで、



泣いてる場合ではないと思う。




祖父は、85歳を過ぎても、


戦時中のことなどを論文に書いたりして、


みんなの前で講演したり、


人気者で、


ずっと向上心が強い人だった。




さまざまな苦難のあった時代に、



力強く祖父は生き、


体の自由がきかなくなってからも、



とても歯がゆい想いをしたと思うが、



その状況に文句も言わず、



天寿を全うした。





タイトルの、




「Live through this!!」 とは、



「それでも生きろ!!」 という意味だ。




祖父は、



自らの、その生き様で、



「どんなことがあっても、とにかく生きろ!!」



と、教えてくれた。




だからあたしは、


どんなことがあっても、


私に残された日々を精一杯、


幸せに、

ちゃんと生き抜くことを、


祖父に約束しようと思う。



じーちゃん!!



ありがとう!!!