「tomomi」さんからの爆音レビュー!
タイトルのごとく稲妻のような衝撃が突き抜けた「雷電」から最終曲「パレード」まで、1曲1曲の存在感が凄まじく、ぶつかり合うようなその様は微惑星の衝突を思い出させた。
だからといって「アサイラム」がアルバムとしてまとまりがない訳ではない。
むしろ個性豊かな曲たちがぶつかり合い合体し、遂に惑星まで成長したように思えたのだ。
地球は微惑星の衝突、合体を繰り返し誕生した。
このアルバムには地球誕生(アサイラム)から一人の人間が地上に生み落とされ、生きていく中での苦悩、葛藤が色濃く描かれている。
しかしそれだけではない。
このアルバムには命の叫び、そして光を掴みとりに行く強い意思が今まで以上に詰まっているのだ。
特に「パレード」は真直ぐすぎるくらい真直ぐな彼らの想いに、なにか熱いものがこみあげてくる。
人間は生まれ落ちたその瞬間から、壮絶な人生が始まる。
しかし嘆いてばかりはいられない。
この作品は真っ暗な闇から這い上がり、光を掴みとるヒントをさりげなく教えてくれる、生命力に満ちた素晴らしい音楽ばかりだ。
tomomi
だからといって「アサイラム」がアルバムとしてまとまりがない訳ではない。
むしろ個性豊かな曲たちがぶつかり合い合体し、遂に惑星まで成長したように思えたのだ。
地球は微惑星の衝突、合体を繰り返し誕生した。
このアルバムには地球誕生(アサイラム)から一人の人間が地上に生み落とされ、生きていく中での苦悩、葛藤が色濃く描かれている。
しかしそれだけではない。
このアルバムには命の叫び、そして光を掴みとりに行く強い意思が今まで以上に詰まっているのだ。
特に「パレード」は真直ぐすぎるくらい真直ぐな彼らの想いに、なにか熱いものがこみあげてくる。
人間は生まれ落ちたその瞬間から、壮絶な人生が始まる。
しかし嘆いてばかりはいられない。
この作品は真っ暗な闇から這い上がり、光を掴みとるヒントをさりげなく教えてくれる、生命力に満ちた素晴らしい音楽ばかりだ。
tomomi
「makoto」さんからの爆音レビュー!
アサイラムは歌詞も見ず何も考えず、気負うことなくただ繰り返し聴いていました。
雷電のインパクト、ラフレシアの中毒性、再生の妖しさ・・・。
羽衣の透明感、ペルソナの現実感、太陽の仕業の本能的な感覚・・・。
それらに気付いたのはずっとあとのことで。
何度聴いても必ず心に引っかかったのが海岸線と汚れなき涙でした。
海岸線の心に寄り添ってくれるような柔らかで優しい詞とメロディ。
汚れなき涙の心に響く凛とした佇まい。
どちらも違う方向性の曲だと思うのですが、辛さや悲しさではなく、心を浄化してくれるような歌。
思わず涙が出てくるほど心に染みました。
THE BACK HORNの歌はいつも、私の中の言葉に出来ない感情を表してくれているように感じています。
代弁しているというのとは少し違いますが、それは何もない空間にパズルのピースを嵌め込んで形作るように、私の心に言葉を嵌め込んで形作り、心を満たしてくれるような感覚です。
今回のタイトルがアサイラムになったのはアルバムを聴いているうちに自然と納得出来ました。
THE BACK HORNの歌はいつも拠り所だけど、それに依存するのではなく、そこからまた新たに自分の現実に向かっていくための一時的な避難所なのだと。
だからこそ、ラストのパレードはグッとくるものがありました。
現状を嘆くわけでも、悲観するわけでもない。
葛藤を自分で掴まえて前に走り出そうとする力強さ。
その力強さを胸に、私も明日を掴まえてみたい。
そんなことを思わせてくれるアルバムです。
makoto
雷電のインパクト、ラフレシアの中毒性、再生の妖しさ・・・。
羽衣の透明感、ペルソナの現実感、太陽の仕業の本能的な感覚・・・。
それらに気付いたのはずっとあとのことで。
何度聴いても必ず心に引っかかったのが海岸線と汚れなき涙でした。
海岸線の心に寄り添ってくれるような柔らかで優しい詞とメロディ。
汚れなき涙の心に響く凛とした佇まい。
どちらも違う方向性の曲だと思うのですが、辛さや悲しさではなく、心を浄化してくれるような歌。
思わず涙が出てくるほど心に染みました。
THE BACK HORNの歌はいつも、私の中の言葉に出来ない感情を表してくれているように感じています。
代弁しているというのとは少し違いますが、それは何もない空間にパズルのピースを嵌め込んで形作るように、私の心に言葉を嵌め込んで形作り、心を満たしてくれるような感覚です。
今回のタイトルがアサイラムになったのはアルバムを聴いているうちに自然と納得出来ました。
THE BACK HORNの歌はいつも拠り所だけど、それに依存するのではなく、そこからまた新たに自分の現実に向かっていくための一時的な避難所なのだと。
だからこそ、ラストのパレードはグッとくるものがありました。
現状を嘆くわけでも、悲観するわけでもない。
葛藤を自分で掴まえて前に走り出そうとする力強さ。
その力強さを胸に、私も明日を掴まえてみたい。
そんなことを思わせてくれるアルバムです。
makoto
「月見」さんからの爆音レビュー!
もし他人のレビューを読んでアサイラムを手に取ってみようかみまいか決めようとしている人がいるのなら、
少なくとも私の拙い言葉を読むより黙ってアサイラムを手に取ってあなた自身で確かめて欲しいと思います。
世界がとても鮮やかで、あなた次第で様々な表情を見せてくれることを教えてくれるアルバムです。
一曲一曲がたくさんの色を丁寧に丁寧に混ぜ合わせたような濃い曲でありながら、1枚を通して聴いても色が濁ることはなくて、むしろ一曲一曲がより鮮やかに見えて、アサイラムというアルバムが無限のパレットのようです。
寝て起きて、また頑張れそうです。
月見
少なくとも私の拙い言葉を読むより黙ってアサイラムを手に取ってあなた自身で確かめて欲しいと思います。
世界がとても鮮やかで、あなた次第で様々な表情を見せてくれることを教えてくれるアルバムです。
一曲一曲がたくさんの色を丁寧に丁寧に混ぜ合わせたような濃い曲でありながら、1枚を通して聴いても色が濁ることはなくて、むしろ一曲一曲がより鮮やかに見えて、アサイラムというアルバムが無限のパレットのようです。
寝て起きて、また頑張れそうです。
月見
「なるみ」さんからの爆音レビュー!
音楽は作り手の背景や想いを排除して、ただ一つの芸術として評価を下されるべきである。
少なくとも一度は、その音楽に対して先入観を持たずに向き合って初めて公平な評価を下したといえる。
そのように評価したとき、このアルバムは良作であると断言できる。
一曲一曲に趣向が凝らされ、聴き飽きない。
聴けば聴くほど発見がある。
音や言葉選びに「おもしろさ」がある。
そして、こう述べたうえで私には『アサイラム』を「THE BACK HORNの音楽」として評価をする権利がある。
以下、矛盾しているかのように思えるかもしれないが言わずにはいられない。
初めて聴いて、「これはTHE BACK HORNなのか」と正直驚いた。
2010年シングル2作から垣間見えてきた「変化」がアルバム一枚を通してくっきりと捉えられた。
それは音であり、言葉選びである。
あまりに驚き出世作『何処へ行く』から今作まで順に聴いた。
すると、変化はありつつも変わらないものたちが確かにあった。
その変わらないものの一つは「生きてゆく」ということである。
いつのTHE BACK HORNからも「生きてゆく」ことが伝わってくる。
ときに悲しく、ときに明るく。
ときに激しく、ときに優しく。
今作のタイトル『アサイラム』。
元来の「聖域」という意味だけでなく「避難所」という意味も持つが、この作品においてはただの「避難所」にはとどまらない。
最後の曲『パレード』において。
“ここから新しい旅を始めよう”
そう言ってこのアルバムは終わる。
「生きてゆくため、次につながる避難所」という意味を『アサイラム』に持たせたと私には感じられた。
3/14のKYO-MEI大会で栄純さんが言った「共に生きよう」という言葉。
彼らからこのアルバムを通じて、そう言われている気がしてならないのである。
最初に述べたように、「とあるバンドの一枚のアルバム」として聴くことも大切で必要なことである。
しかし「今のTHE BACK HORNのアルバム」として聴いたとき。
「なぜこの音なのか」「なぜこの言葉を選んだのか」
と、より深くこのアルバムを味わうことができる。
生きること・光を掴みに行くことに迷いがない今のTHE BACK HORNの姿を見つけることが出来た。
なるみ
少なくとも一度は、その音楽に対して先入観を持たずに向き合って初めて公平な評価を下したといえる。
そのように評価したとき、このアルバムは良作であると断言できる。
一曲一曲に趣向が凝らされ、聴き飽きない。
聴けば聴くほど発見がある。
音や言葉選びに「おもしろさ」がある。
そして、こう述べたうえで私には『アサイラム』を「THE BACK HORNの音楽」として評価をする権利がある。
以下、矛盾しているかのように思えるかもしれないが言わずにはいられない。
初めて聴いて、「これはTHE BACK HORNなのか」と正直驚いた。
2010年シングル2作から垣間見えてきた「変化」がアルバム一枚を通してくっきりと捉えられた。
それは音であり、言葉選びである。
あまりに驚き出世作『何処へ行く』から今作まで順に聴いた。
すると、変化はありつつも変わらないものたちが確かにあった。
その変わらないものの一つは「生きてゆく」ということである。
いつのTHE BACK HORNからも「生きてゆく」ことが伝わってくる。
ときに悲しく、ときに明るく。
ときに激しく、ときに優しく。
今作のタイトル『アサイラム』。
元来の「聖域」という意味だけでなく「避難所」という意味も持つが、この作品においてはただの「避難所」にはとどまらない。
最後の曲『パレード』において。
“ここから新しい旅を始めよう”
そう言ってこのアルバムは終わる。
「生きてゆくため、次につながる避難所」という意味を『アサイラム』に持たせたと私には感じられた。
3/14のKYO-MEI大会で栄純さんが言った「共に生きよう」という言葉。
彼らからこのアルバムを通じて、そう言われている気がしてならないのである。
最初に述べたように、「とあるバンドの一枚のアルバム」として聴くことも大切で必要なことである。
しかし「今のTHE BACK HORNのアルバム」として聴いたとき。
「なぜこの音なのか」「なぜこの言葉を選んだのか」
と、より深くこのアルバムを味わうことができる。
生きること・光を掴みに行くことに迷いがない今のTHE BACK HORNの姿を見つけることが出来た。
なるみ
「辻田桜子」さんからの爆音レビュー!
今、生きることがただ辛い。世界が憎い、人が嫌い、自分が嫌い。
今、どうするべきなのか考えたら最後に辿り着くのはいつも私なんか生きていても
意味がないという結論に到着する。死ねば今抱えている問題は解決してもう私は
迷惑をかけずに天国か地獄へ行くかあるいは静かに消滅する。
でも、死ねない。死ぬのが怖い。そんな勇気なんてない。でも、死にたい。
嘘。本当はこのまま生きて思い描いていた未来へと歩いていきたい。
もう、どうしたらいいのかわからなくただ辛い。そんなときにこの「アサイラム」を手にした。
歌詞カード片手に一曲一曲ぼーっとしながら聴いた。
“世界を愛せるか?”
“今は何もかもが信じられずにいても”
“明日へ明日へと繋がってゆく”
“守るべきものは幾つある?”
“運命を切り拓け”
色んな曲の部分が胸にズシズシとナイフのように突き刺さってくる
“未来をこの手で掴まえに 掴まえに行こう 走り続けるさ ここから新しい旅を始めよう”(パレード)
この曲でアルバム「アサイラム」の再生は終わった。そのとき私は声も押さえずただ、泣いていた。今の私にはただ優しすぎておさえていたものが爆発した。もう一度パレードを聴いた。優しかった。
THE BACK HORNはいつもそうだ。
「頑張れ」とか「応援している」なんてありきたりな言葉は言わないけど「無理だ」とか「無駄だ」なんて言葉もない。ただ「走り出せ」「ここから」「立ち上がれ」とか何度ころんでも失敗しても無言で手を差し出してくれているような気がする。そういえば、何度「ここでは死ねない」と歌ったのだろう、とちょっと思い出した。
世界を愛すること、何かを信じて繋げていくことも、運命を切り拓くことも、守るべきものを見つけることも、私にとってそれは簡単なことじゃない。でもそれが生きることなのだ、それがなければ生きていけないのが人間なんだ。だから何度転んで失敗して傷ついても、もう一度立ち上がって立ち上がれないのならはいずくばればいい、ただ前に進むことが今すべきことだ。
そんな簡単な結論にやっと気付けた。それはこの「アサイラム」が、THE BACK HORNが気付かせてくれた、なんて言ってみる。
前までは少し痛かった秋風が最近、気持ち良く感じてきて耳からはずっと「ここから新しい旅を始めよう」という歌詞が心地よく響いている。私も、もう一度始めてみようと思った。ありがとう。
辻田桜子
今、どうするべきなのか考えたら最後に辿り着くのはいつも私なんか生きていても
意味がないという結論に到着する。死ねば今抱えている問題は解決してもう私は
迷惑をかけずに天国か地獄へ行くかあるいは静かに消滅する。
でも、死ねない。死ぬのが怖い。そんな勇気なんてない。でも、死にたい。
嘘。本当はこのまま生きて思い描いていた未来へと歩いていきたい。
もう、どうしたらいいのかわからなくただ辛い。そんなときにこの「アサイラム」を手にした。
歌詞カード片手に一曲一曲ぼーっとしながら聴いた。
“世界を愛せるか?”
“今は何もかもが信じられずにいても”
“明日へ明日へと繋がってゆく”
“守るべきものは幾つある?”
“運命を切り拓け”
色んな曲の部分が胸にズシズシとナイフのように突き刺さってくる
“未来をこの手で掴まえに 掴まえに行こう 走り続けるさ ここから新しい旅を始めよう”(パレード)
この曲でアルバム「アサイラム」の再生は終わった。そのとき私は声も押さえずただ、泣いていた。今の私にはただ優しすぎておさえていたものが爆発した。もう一度パレードを聴いた。優しかった。
THE BACK HORNはいつもそうだ。
「頑張れ」とか「応援している」なんてありきたりな言葉は言わないけど「無理だ」とか「無駄だ」なんて言葉もない。ただ「走り出せ」「ここから」「立ち上がれ」とか何度ころんでも失敗しても無言で手を差し出してくれているような気がする。そういえば、何度「ここでは死ねない」と歌ったのだろう、とちょっと思い出した。
世界を愛すること、何かを信じて繋げていくことも、運命を切り拓くことも、守るべきものを見つけることも、私にとってそれは簡単なことじゃない。でもそれが生きることなのだ、それがなければ生きていけないのが人間なんだ。だから何度転んで失敗して傷ついても、もう一度立ち上がって立ち上がれないのならはいずくばればいい、ただ前に進むことが今すべきことだ。
そんな簡単な結論にやっと気付けた。それはこの「アサイラム」が、THE BACK HORNが気付かせてくれた、なんて言ってみる。
前までは少し痛かった秋風が最近、気持ち良く感じてきて耳からはずっと「ここから新しい旅を始めよう」という歌詞が心地よく響いている。私も、もう一度始めてみようと思った。ありがとう。
辻田桜子