生まれ変わっていく現実 | 俺ってデビルマン!?

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知ってる人は知ってるし、知らない人はまったく知らない…私、元・週刊ゴングの鈴木淳雄と申します。かつて所属していたプロレス業界に限らずに、今現在の私をありのままに記していきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。


 イトーヨーカドー綱島店が42年の歴史に幕を降ろし、閉店したそうだ。

 この地域に住んでいる人以外、どうでもいい話だとは思うが、私にとってはとても思い出深い場所。開店当時の私は、地元・港北区(今は分割されて都筑区)に住む中学生で、この綱島駅というのは、どこに行くにも利用する駅だった。

 高校時代はその通学にも利用していたし、横浜や渋谷に遊びに行くのにも使っていた。駅近の立ち食い蕎麦屋でバイトもしていたので、四六時中、この駅周辺で過ごしていた。

 狭い路地に大型のバスが何台も行き交い、毎日朝は大渋滞。駅までバスに乗っていたら、着く頃にはお目当ての電車に乗り遅れてしまうので、必ず1つ前の停留所で降りて駅まで歩くのが恒例。当時、東急東横線といえば人気の高い沿線だったのだが、実はオシャレとは程遠い、実にチマチマした町だった。

 ヨーカドーができる以前は、駅近のスーパーといえばダイエーとユニーだったのだが、その規模といい品揃いといい、どこか小ぢんまりとしたもの。しかもその周辺に当時では洗練されたお店が幾つも新しく出来ていたので、「何か綱島の街が新しく生まれ変わった!」と思ったことしきり。なので初めてこのヨーカドー綱島店を見たときは、本当に衝撃的だった覚えがある。

 21歳で実家を出て、東京で独り暮らしを初めてからは縁遠い街となってしまったが、18年前にタクシードライバーとなってからは、仕事でその付近を通る度に、心から懐かしい気持ちになっていたものだ。

 ヨーカドーがなくなった後、この場所には何ができるのだろう? 私が立ち食い蕎麦屋の後にバイトしていたユニー綱島店は、今ではスポーツジムになっている。…そういえば、その傍に映画館もあったよな。私が生まれて初めて見た映画は、この綱島の映画館で見た『東映マンガ祭り』だった…。

 こうして思い出の地はどんどん失くなっていき、新しい姿に生まれ変わっていく。私の実家周辺も、本当に昔の姿とは大きく見違えてしまった。今では地下鉄の走る北山田駅なんて、学園都市だなんてオシャレぶっているけど、私が中学生の頃はお店もなかったし、信号も1つしかなかったんだぜ!あるのは自然だけ。でも、あの頃のあの町が、今でも私は大好きだ。

 変わっていいものもあれば、悲しくなるものもある。でもそれは人それぞれ、事情もあるだろうし、それに対する捉え方も違えば考え方も違う。だから静かに現実を受け入れるしかない。



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