生え抜き選手の重要性② | 俺ってデビルマン!?

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知ってる人は知ってるし、知らない人はまったく知らない…私、元・週刊ゴングの鈴木淳雄と申します。かつて所属していたプロレス業界に限らずに、今現在の私をありのままに記していきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 では外様の人間が、エースになってはいけないのか? そう聞かれれば、その答えはNOである。もちろん、人気、実力共に高いレベルにある選手が活躍してくれれば、それでその団体は潤うことができる。それ自体は非常に喜ばしい事実である。


 だが、その栄華はその団体が時間をかけて築いてきた財産を活かしたものではない。ということは、その団体が本来やるべき使命ではない、ということだ。


 言い方を変えれば、時間をかけて築かれてきた団体の看板は、そんなに軽いものではないということ。外様主体のスタイルでやるのならば、そういったこだわりのない、別の看板でやればいい。


 頑固に味を守ってきた老舗の料亭で、安価なインスタント料理を出されたらどう思うだろう? 逆に安さが売りのディスカウントストアで高級ブランドが並んでいたら、偽物なんじゃないかと疑心暗鬼になったりしないか? 中華料理屋でイタリア料理がメニューに並んでいても、決して食べる気にはなれない。餅は餅屋、諺にもある通りだ。


 仮に外様選手であったとしても、生え抜きの新人選手と同様に基礎からしっかりと学んできた選手であれば、別に文句はない。それは受け継いでいくべき財産を、しっかりと学びとってきた人間であるからだ。


 だがある程度のレベルにまでなっている人間がその団体にやってきたら、基礎からまた始めることなどまずありえない。自身がそれまで培ってきた基礎に自信があるからこそ、また違った基礎を身に付けようなどという考えを持つ人間は極めて稀である。


 プロレスというものは、団体それぞれに異なる基礎を持つ特殊な世界である。だからこそ、その看板に対して強いこだわりを持っている。


 かつて髙山選手と垣原選手がキングダムから全日本に戦場を移してきた時、全日本の新弟子や若手に交ざって合同練習に参加していた。上辺だけの参加ではなく、根底からその技術、精神を学びとろうと実に真摯な姿勢で挑んでいた。だからこそ、その後の彼らの大躍進に繋がったと私は思っている。だが、これをやれる選手はそうそういない。それだけ、彼らの真摯な姿勢は本当に貴重だった、といえる。


 違う要素を取り入れることは、その幅や可能性を広げる意味でも大事なことである。それ自体は決して否定しない。だが明らかに違うものを主体とするのであれば、ファン心理としては別の看板でやってくれ、という気持ちになる。


 財産をしっかりと受け継いでいこうという意志がないのであれば、いっそのこと、なくなってしまってくれた方がいい。ファン心理というものはそういうものではないだろうか?


 新たなものを取り入れて、その幅を広げていくことは本当に素晴らしい。ただ大事なものはそのベース・基盤である。その団体がこれまで、何を大事にして何を目標にしてやってきていたのか、そこだけは何があっても変えるべきではない。


 それさえも変えてしまうのであれば、もはやそれは名前は同じでもまったくの別物。財産を放棄するのであれば、せめて親(先人)の名前を汚すようなことだけはしないでくれ、そう願うばかりである。


 例え外様選手であろうと、しっかりと基盤を学び、その団体の方向性、信念を本当の意味で理解して大事にしてくれるのであれば、何も文句はない。だがそれを感じさせてくれる外様選手は、なかなか存在しない。だからこそ、生え抜きの選手が重要になってくる。


 外様選手がダメなのではない。でもその団体の信念を本当の意味で理解していない人間であるのならば、その人間は決してその団体のエースにはなれない。ベルトを獲得すれば、王者にはなれる。でも、誰からも信頼される真のエースにはなれない。それはこれまでの時代が、歴史が証明している。


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