新日本プロレスに話題を戻そう。存亡の危機に瀕した同団体は、何度目かのオーナー・チェンジを果たした後に、そのファイト・スタイルまでも変貌させていった。
かつてはグランド・テクニックを主体に試合を形成し、相手のダメージが深くなったところで大技で仕止める、まさにプロフェッショナルなレスリングテクニックを駆使する闘いが新日本の要となっていた。
そんな闘いがストロングスタイルといわれる所以であり、観客の目を意識することよりも対戦相手との闘い、駆け引きこそが唯一無二の重要ポイントとされていた。
ところが、近年の新日本の試合は大きく変貌を遂げたといえる。見た目に分かりにくいグランドの攻防よりも、派手で分かりやすい打撃の応酬が目につき、相手から視線を外して観客にアピールする姿も頻繁に目にするようになった。
何より無差別級の闘いが増えたことで、技の重さよりもスピーディー化がはかられ、その高さ、速さをアピールするようになっていく。つまり、マニアよりもビギナーが分かりやすいプロレスに形を変えてきたということだ。
そのいい例がグランドの攻防である。かつて絞め技で相手を攻め込むときには、ひとつの技に磨きをかけて、それ一本で極めにいくのが主であった。
仮に極まらなくても、そこへの攻撃を集中させることで相手にダメージを蓄積させていく、特にかつての若手の試合は出せる技も限定されていたことで、その典型ともいえるファイトに徹していた。
だが最近ではザック・セイバーJrのように一点集中ではなく、激しく変化、発展&複合させていくことで目先を変えて見る者の目を飽きさせずに捕らえていく。
別にだからといって、どちらがどうだというつもりはない。そういう目に見えた変化が現れ、やがて新日本は再び業界の盟主の座に返り咲いた、ということだけは事実なのだ。
で、ここからは私の好みの話をさせてもらう。私はこのブログで何度も書いてきた通り、プロレス界が二大メジャー時代と呼ばれていた頃からずっと、全日本プロレスが好きだった。
今と違って明らかに基礎が異なり、そのスタイルが似て非なるものだといわれていた時代に、私が支持していたのはアメリカン・プロレスを源流とする全日本プロレスこそが本物のプロレスだと支持していた。
そして当時のファンとしては当たり前のように、一方の新日本に対しては敵視していたし、所詮、全日本に比べて身体の小さな人間がやるプロレス、と格下意識を持って新日本を見ていたのである。
だが今だから正直にいうが、いわゆるストロングスタイルと称される"張り詰めた緊張感"を持つ当時の新日本プロレスも、それはそれで好きだった。
どちらが好きかといえば、全日本の方が私にとっては上だったが、実は新日本のプロレスの方もそれはそれで好きだったのだ。
今ならば「俺はプロレスが好きだから、どこの団体もそれぞれにそれぞれ好き」と平気でいえるが、あの当時はなんとなくそれが許されない空気だった。それほど両団体のライバル意識、敵対心は強かったのである。
そんな私からしてみれば、現在の新日本もそれはそれで認めている。がしかし、かつての新日本らしさが影を潜めてしまったことが、私にとっては不満で仕方ないのだ。
『GHCの真実2020』