私は忙しかった。25歳で就職してから、ヨーロッパに本社を持つある会社の

日本連絡事務所長を務め、34歳で結婚。同時に、ヨーロッパ本社の後押しも

あり、同社の商品を取り扱う日本法人を起業、代表取締役になる。

激務の中、36歳と38歳で2度の出産。以後、日欧の貿易最前線にいながら、

育児・家事をこなす。

まともな産休を取らなかったせいで40代後半に、重い更年期に襲われる。

自分の調子もままならないのに、家族の事情で田舎から年老いた両親を引き

取り、介護生活が始まる(母は特養、父は同居)。

 

こんな日々の中でも、私は副島隆彦氏の本を読み込んでいたし、自分でも

調べていたしで、世界の真実にはある程度目覚めていた(参考:)。

しかしカバールの力の強大さに、自分では何もできぬと半ば絶望しながら

生きていた。そしてある日やって来た心身の限界。

 

ある朝、いつも通り会社へ出勤しようとすると、いきなり両手の先が痺れ始める。

痺れはたちまち全身に広がり、首から下が動かなくなった。そのまま救急車で

搬送。症状としては、クモ膜下出血や脳出血が疑われたが、病院でどこを検査

しても異常が見つからない。朦朧とするだるさの中で、点滴だけ打って帰る。

自宅で父の介護をできるのが、私だけだったからだ。

だが、もう仕事へは復帰できなかった。社長を後任者に譲り、業界の誰一人挨拶

もできぬまま、最前線から退いた。命懸けで経営してきた会社からの、あまりにも

あっけない退任だった。

 

介護を兼ねた自宅療養が始まった時、世はコロナとなった。緊急事態宣言とやら

だったが、自分が緊急事態だったもので、その頃のことはあまり覚えていない。

朝家族の目玉焼きを焼く間も立っていられず、キッチンでしゃがんでいた。

やがて父の介護の負担が重くなりすぎ、私自身も共倒れしそうになった頃、父の

容態が悪化し、施設入所となった。母と同じ特養に入ったが、世はコロナ。面会

禁止で会えなくなってしまった。同施設内で、父と母が毎日会えていたことが、

唯一の救いだった。

そんな間も、なぜか私は真実情報の追求をやめなかった。どんな時も、体の許す

限り、ネットと書物で情報を追い続けた。家にいて時間があったので、我が家の

10代の子供達にも、世界の真実をしっかりと話す(参考:)。

 

コロナになる5年程前から、「そのうち人々が恐れる人口のウィルスが世界へ

ばら撒かれ、それ用に用意されたワクチンを打たされ、私達はナノチップを体に

埋め込まれ、より管理された奴隷にさせられる恐れ」を、耳にしていた。だから

コロナワクチンなんか、打つわけがない。両親の入った特養でも、ワクチン接種

を断固拒否したのは、どうやら我が家だけらしかった。

 

父の介護から解放された頃から、体調が復調し始める。家族をコロナから守る

ために免疫力アップについて調べるうちに、既に自分の体がこれまでの人生で

いかに多くの毒をあらゆる形で摂取し、蓄積してきたかを知る。これは、解毒だ!

解毒するしかないっ!!(参考:ワクチンを拒否しても、とにかくスパイク

タンパクはそこかしこで、盛大にばら撒かれている。本気で解毒しないと、たとえ

ホワイトハットが世をきれいにしてくれても、その時に自分が生き残っていないぞ。

 

ここまでくると、コロナと同時に自分が仕事を退いていたことが、「家族の延命・
防衛」に直結していたことを悟る。元々好きだった料理や菓子作りには、拍車が

かかった。安全な材料で、添加物なしのものを口にすることこそ、最重要だと。

 

世界の真実情報を追うことには、今年の4月、大きな転機が訪れた。我が家の

経済的状況がひっ迫し、家族4人がいつ路頭に迷うかわからないことになった。

但し、一度体を壊している私は、以前のようにはもう働けない。知人のところで

必要な手伝いをし、小遣いを稼ぎながら、とにかく出費を抑えるしかなかった。

自分の保険は解約した。自宅を手放すことも考えた。子供達の進学を諦めざるを

得ない覚悟も、子供達と共有した。とにかく家族4人で、できるところまで生き

抜こうー大げさでなく、そんなスローガンになった。なので、情報収集する時間

は大幅に減った。

だけどなんだろう?どこかほっと解放されたような気持ちになった自分がいた

のも、確かだ。それは、世界の動きより、「自分の内部へ視線を向けろ」という

最初の合図だったと、今ではわかる。

 

同じように真実情報を追っていた仲間からも距離ができてしまった。初めはそれを

寂しいと思った。でもすぐに、「それ、ちがうわ」と気づいた(参考:)。

傍から見たら大変な状況なのだが、なぜかそんな日々の中で、私は「心に浮かぶ

不安」を、次々と手放していけた。おもしろいくらいに。

自分で言うのもなんだが、私は生まれつき心配性だった。とにかく状況を先回り

して、事態を憂慮し、心配するのが趣味のようだった。楽観ができなかった。

ところが、この生まれて初めて直面した「家族が生きていけるかどうか」の危機に

際して、遂にその癖を、完全に手放すことができた。生活は楽じゃないけど、気持ち

が楽になった。今までにこんなに平穏な心を持ったことがない、というほど。

 

 

何が、そのきっかけを生んだのかはわからない。だけど日々気功をしたり、瞑想を

繰り返す中で、その変化はクリームが溶け出すように、私の心の内側から自然に

起こった。そうして8月になったら、意識を巡らせる範囲が「家族」から「自分

だけ」に、さらに縮まった(参考:)。

否が応にも、己の内側と向き合う間に、「これが、これまでのステージからの卒業

の合図なのだ」とわかった。そして8月2度目の満月を機に、私の意識(=魂)が

今までとは別のところに移動した。体の振動数が本当に変わったようで、今まで

味わったことのない様々な体感を、9月に入ってから味わっている。まだ言語化

してうまく言えないが、敢えて言うなら、「新しい次元では体の代謝のスピードも

変わる」らしいってこと。なにか重要なことが、細胞レベルで起こったことだけは

よくわかる。このままもうしばらく、体の調整期間が続くだろう。

感覚的には、心の中で古い次元(=過去)へのドアがぎぎぃ~っと閉じ、一旦ゼロ

になり、新しい次元(=未来)への扉がゆっくりと開くような。

 

ここまで書いてきたことは、私の身に実際に起こったこと。それを例として書いた

が、恐らく同じようなことが、覚醒して意識レベルを上げている人達の間に、それ

ぞれ形を変えて起こっていると思われる。

今生の人生の課題は人それぞれだから、切り口もアプローチも、気づかせ方も、

全然違うだろう。だけれども、創造主が言うことは一貫して同じだ。

 

「今こそ意識を自分に向ける時。

世界の情勢も踏まえつつ、最も大事なのは、今目の前の生活をしっかり

送ること。いずれ来るもの(EBS/RV)、いずれなるもの(新時代)に

捉われていると、自分の中心を見失う。そんなものは、もうほっといても

来るんだから、あなたが考える必要はない。

それより、自分の内側に意識を移せ。何がもういらないものか、何だけを

新しいステージに持って行くのか、心の中でふるいにかけよ。

たとえ(闇側の作り出した)マトリックスの中にいようとも、自分の意識は

かくあるべき、という『自己』をしっかりと持て。それがなければ、いつも

人の言うことを聞き、周囲に振り回される人でしかいられない。

 

己のアイデンティティーに返れ。アイデンティティーを取り戻せ。

(自分が何者であったかを思い出せ。)

世界から、自分の国、地域、所属する団体、家族、そして自分自身へと焦点

を縮めていき、己を確立させよ。

さすれば、何が起きても、いつ死んでも、迷い、ぶれることはない。

愛する息子、娘たちよ、意識を己に向け、自分の足で立つのだ。」

 

今日の私には、そんな風に創造主からの願いが聞こえてくる。

 

#WWG1WGA