アスラビットのブログ      . -28ページ目

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 お恥ずかしいお話ですが、本日はじめて、DropBoxデビューを致しました。

 弁理士事務所さんに、大きなビデオファイルを手配しなければならなかったもので、必要にかられまして。

 いや~、昭和生まれのオールドタイプにとりまして、DropBoxの2GB無料というビジネスモデルは、もう感情レベルでは理解不能です。

 2GBではすぐ容量一杯になるから、有料で拡張してね、という事なんでしょうか。 オールドタイプとしては、2GBなんていうと、何かそれだけで一生過ごせるような感覚が。

 確か自分がPCを始めた頃は容量が720KBとか、1MBにも届かないフロッピーディスクが平気で売ってたような記憶がありますし。 2GBって、一体フロッピーだと何枚に相当するんですかッッ?!

 その後、MOやCD-R、DVD-Rなどを経て、USBメモリとかSDカードとかが安価で買えるようになって、データの「外出」が一気に楽になりましたが、相手にコピーしてもらったあと回収を忘れちゃったりとかして、それなりに面倒だったので、フォルダのクラウド化は歓迎っちゃ、大歓迎なんですが。

 どうもオヤジ思考としては、「セキュリティは問題ないのか?」とか、「便利さに頼り切って、DropBoxにしかオリジナルデータを置かないような悪習慣が付いた途端、ある日突然センターのシステムがクラッシュして、オリジナルデータが消失してしまったりするような悲劇が生じるのでは…?」などと躊躇しておりました。

(それともDropBoxって、クラウド上と常時同期したフォルダが、必ずPCの方にもバックアップとして複製されるのでしょうか? う~ん、オヤジ良く分かっていません。ピ~ンチ!)

 今、1GBのファイルをアップロードしている待ち時間に書いていたのですが、まだ半分くらいしか進んでいません。

 何だか十数年振りに、アップロードを「まったり待ち続ける」手持ち無沙汰感を、味わっております!

 今回はこの辺で。

 宜しかったらまた、お越し下さい。

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 昨日、父の話をブログに書きましたが、何か、家族の血のバイオリズム、「そ・の・血・の・さ・だ・めェェ!」みたいなシンクロがあるのでしょうか、普段そんなに連絡して来る事の無い姉から、時を同じくして激励のメールが届きました。

 姉は七歳上で、インファント(正確な定義を知りませんけど、0~3歳位?)な自分のお守りをよく母親に押し付けられていたらしく、「アンタは小さい頃、私が親代わりに面倒見てやった」と時たま切り札のように言われ、「何も言えねェ」状態になってしまいます。

 年上の姉の影響は意外と大きく、例えばフレディー・マーキュリー没後もいまだにCMやドラマ、サッカーの大きな大会の表彰式などで楽曲が使われているクィーンも、姉がファンでよくレコードを大音量でかけていたのが伝染し、かなり初期の頃から自分も好きになりました。

 1979年4月に札幌公演があった時は、自分まだ高校生になったばっかりで、一人では見に行けなかったので、もう社会人をやってた姉にくっついて、見に行きました。

 あれはもしかして、姉からの高校進学祝いの位置づけだったのかな?
 ごめん姉貴、ディテールはちゃんと覚えとらんとです(詫)。

 その後、1982年の大学の時は、姉は結婚して神奈川に住んでいたので一人で見に行ったのですが、今となってはあの伝説のロックバンドのコンサート(昔はライブなんてオサレな表現は一般的に使われておらず、クラシックもロックもみんな、コンサートって呼んでいたんだぉ!)を生で、しかも地方都市である札幌に住んでいながら、6回しか来日していないうちの2回も見る貴重な経験が出来たのも、何やかやでクィーンとの出会いを作ってくれた姉のお蔭かなと思うちょります。

 別マや別コミ、別フレなど女子漫画の面白さを教えてくれたのも姉ですね。「伊賀のカバ丸」とか、「おしゃべり階段」とか、「カリフォルニア物語」とか。懐かしい。

 自分は姉に、当時から溺愛していた「デビルマン」を読ませた事がありますが、果たして覚えているかな?

 それと社会人になってからもしばらくは、週末に何度か姉夫婦宅にお邪魔し、メシを食わせてもらってました。

 そんな姉からの激励メールの締めの言葉は、「あきらめないよね」。

 これって最近、松潤のチョコのCMで引用されている「スラムダンク」の安西先生のセリフ、「あきらめたら、そこで試合終了ですよ…?」の、言外の下の句だよね、絶対。

 …あ、姉貴からスラムダンク全巻、借りっぱなしだったのを忘れてた!
 このフレーズって、実は激励と督促を兼ねてました???

 お後が宜しいようで。

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 昨年11月に札幌の実家に帰った話は以前にブログでも書きましたが、その際母から、2007年に亡くなった父のコートが残っているので使わないか?と見せられたのですが、モノが良かったので、お言葉に甘えて形見代わりにいただく事にし、現在住んでいる川崎に送ってもらいました。

 川崎に届いたコートを、先日外出時に初めて使用したのですが、ポケットに入れた手袋を取り出そうとした時に、手袋以外の感触が、手に伝わってきました。

 出してみるとそれは、のど飴のちっちゃな個袋でした。中の飴を取り出したあとの、早い話がごみくずです。

 しかし自分がこのコートを使ったのはその日が初めてで、その日は飴なんて食べていません。

 しかもその飴は「黒糖飴」と書いてあって、自分がかつてチョイスした事も無い、シブい種類のものでした。

 そうです、その飴の空き個袋は、父がそのコートを最後に着た時に、口にしたものに違いありません。

 故人の遺品というと、愛用していたネクタイや今回のようなコートなど、「ちゃんとしたもの」がほとんどだと思います。

 でも「ちゃんとしたもの」って、綺麗に美化され風化しているっていうか、ちょっと品良く、よそよそしい感じがしないでもありません。

 でもその飴の、父が裂き開いた跡の残る小さな空き個袋は、妙に生々しく、まるで父が昨日食べたばかりのもののようです。

 この生活感というか、リアル感が、ガツンと胸に飛び込んできて、久しく忘れていた父の匂いやら口癖が脳裏に鮮やかに蘇ってきたのでした。

 父は亡くなる数年前から、ろくに外出も出来ない体調でしたので、この飴は父の10年近く前の「忘れ物」ではないかと思います。

 父からの、思いもかけない「届け物」に、ちょっと胸が切なくタイムスリップしたひとときでした。

 今回はこの辺で。

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