最近、読んだ本。
脳科学者の池谷裕二先生とコピーライターの糸井重里氏の対談をまとめた「海馬」という本。

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)/池谷 裕二

¥620
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不思議な組み合わせの2人が脳の記憶をつかさどる「海馬」について対談しています。

お2人とも非常に頭が柔らかい。読んでいると「おおーそういう方向へ話が向かうのか~」「えー!確かに言われてみれば~」と、内容そのもの以上に話の膨らみ方や、たとえ話の仕方におどろきます。

脳の不思議の話は、この本を読んでいただくとして…(え?そうなん?)

実は、この対談の中で池谷先生の超おどろきのエピソードを見つけました。

(抜粋 - 始) ※文中の太字・記号は私がつけました。
p276
■糸井 
雑誌の対談で池谷先生にはじめてお会いした時に、「東大薬学部に進学するときも大学院に進学するときも、池谷さんは首席だったんですよ」と紹介されたんだけど、池谷さんは昔からよくできる子だったのですか?

●池谷 
小学生のときは、いつもビリから数えて何番目という程度でした。

■糸井 
え?

●池谷
実際、ぼくは今でも九九ができないんです。当然、算数もあまり解けなかったです。

■糸井
今、理系なのに。

●池谷
漢字も憶えなかったんですよ。漢字のテストの時のことはよく覚えてるなぁ。小学校六年生ぐらいで、小学校で習うぜんぶの漢字の試験があったけど、ぼくが書けたのはふたつだけだった。
(抜粋 - 終)


えええええ?!
九九を憶えずに、どうやって中学・高校と数学を解いたの??…って思いますよね。

(抜粋 - 始) ※文中の太字・記号は私がつけました。
p280~282
●池谷
その頃は経験メモリー(方法記憶)なんていう概念を知らなかったのですが、記憶力が弱くても何かをやった時の方法がわかっていれば、テストには十分に対処できることが実感としてわかりはじめました。
最小限のことだけを憶えれば、あとは理詰め(方法の組み合わせ)で導き出せばいいから。ぼくは数学も公式もほんとうに覚えないのですが、毎回毎回、試験のたびに公式を導き出していればいいわけなんです。
---(中略)---
毎回公式を導き出すから、丸暗記しているよりも試験で時間がかかってしまうのですが、でも、ある時気づいたんです。「公式を丸暗記している人よりも、公式を導き出せる人の方が、原理を知っているから応用力があるんじゃないか?」って。
---(中略)---

■糸井
経験メモリーに頼らざるをえなかったのが、伸びる理由だったんだ…。
九九ができないというと、池谷さんって、「九かける八」をどう計算するんですか?

●池谷
90から9を二回(18)ひくと「72」ってでてきます。
---(中略)--

●池谷
はい。九九を81個も暗記するより、ぼくの方法なら10倍することと2倍することと半分にすることの三つの方法だけで全部できる。ぼくはぜんぜんものを覚えられませんから、方法を覚えるしかないんです。
(抜粋- 終)


なるほどー!

ここで大切なのは、
「できないこと」があったからこそ、「別の方法」を模索した。ということ。
それによって、フツウの方法ではありえない、知識の広がり・思考力の強化へとつながったわけです。


池谷先生は、苦手な「九九の暗記」を回避して、自分ができること(10倍、2倍、半分の計算)を組み合わせて、最終目的の「計算の答え」を出しているわけですね。

九九が暗記できない → 暗記が苦手 → なんとか暗記できるようにがんばらせる
という行動が一般的です。学校の先生なら、基本的にこのスタンスでしょう。

これこそが、発達障害の人が困る代表的な指導方法なのです。

よく考えてみましょう。
そもそも九九は、「正しい計算をする」ための道具に過ぎません。
最終的な目的の「正しい計算ができる」なら、道具は九九でなくても良いはずです。

目的は「正しい計算ができる」ようになること。
目的達成のために必要なのは、「正しい計算ができる」道具を探すこと。
九九にこだわる必要はまったくありません。

池谷先生の方法は、めんどくさいじゃないか?憶えた方が早いのに?

インドでは、2桁×2桁の九九を憶えるらしいです。インド人からみたら、「日本人は1桁の九九しか憶えられないんだと。いちいち1桁の掛け算とか、めんどーなことしてるらしいよ~?憶えたら早いのにねぇ~」って思われているかもしれません。

でも、日本人は不便なく計算できてますよね?
もちろん暗記した方が早いでしょう。
でも、いまから2桁×2桁を暗記しますか?

それと同じです。
"自分が"やりやすい方法を基準にして、「めんどくさい」と批判しているだけのこと。

九九を完全に憶えてなくても、きちんと計算できればそれでOKなのです。
(実際に、池谷先生はそれで中学数学も高校数学も乗り越えてきたから、東大へ行ったわけです。)

つまり、
正しい計算をするという目的を忘れて、九九という道具にこだわる
という、まさに本末転倒な周囲の反応が問題なのです。

発達障害の人は、フツウの人が使う道具が使いにくくて、オリジナルな道具が必要なことが多いのです。

実は、私自身も高校数学では、公式を覚えない人でした。
私が高校で急激に数学が得意になったのは、最小限の公式だけ憶えて、それ以外は導き出すという方法をとったからでした。

私の場合は、自分で気づいたのではなく、塾の先生(灘高出身で当時、有名大学医学部生)に、「原理をきちんと理解していれば、ほんとうに憶えるべき公式はほんの少しだけ」だと教えてもらったのです。

それまでの暗記一辺倒から、きちんと原理を理解し考える方法への転換。
これが、まさに私の人生の転機だったといえます。

「原理をきちんと理解していれば、自力で導き出せる」

その考え方は、数学だけでなく、私が日常生活の中でもさまざまな形で応用ができ、生きるための最高のツールとなりました。

池谷先生も書いているように、「原理を知って導きだす」ことは「公式を丸覚え」するよりも、格段に応用力がつきます。私自身も、そういう勉強方法を始めてから、思考力・発想力が飛躍的に伸びました。

なぜなら、公式のもとになる原理を勉強するというのは、誰かがした「すごい発想の転換」の過程そのものをたどりながら「発想の転換を追体験」ことに他なりません。ですから、勉強していると、「ええ?!ここから、そう発想するの?!なるほどー!コレ考えた人すっげー!」という驚きばかりでした。

つまり、過去の偉人の思考の過程を追体験するわけですから、繰り返すことで、たくさんの偉人の発想の転換のパターンを身に着けることができるわけです。そう考えると、すごいことですよね。

パターンが蓄積され、練習問題を解くうちに、なんとなく「発想の転換のしかた」みたいなものもわかってきました。これが、日常生活、試験勉強、システムエンジニアの仕事など、さまざまな分野での問題解決の基礎となったのです。

実は、発達障害の人の中には、こうした「経験メモリー(方法記憶)」による問題解決のほうが、なじみやすい人が多いのではと感じます。

発達障害の人は、融通が利かず「表向きの規則」や「表向きの決め事」を律儀に守って周囲との摩擦を生じることがありますが、物事の判断基準として「原理」から考えることで、適切な判断と行動への自由度をあげる(つまり、融通をきかせる)こともできます。

私の場合は、幸運にも、そういう思考方法の人に出会えたことで、経験メモリー(方法記憶)による問題解決を身につけることができました。しかし、社会全般に見てこういう思考方法をとる人の数が圧倒的に少なく、出会う機会も学ぶ機会も得られないのが現状ではないでしょうか。

きちんと学ぶ機会があれば、「経験メモリー(方法記憶)」による問題解決によって、飛躍的に思考力・柔軟性・発想力を伸ばすことができる人は多いんじゃないかと思います。

発達障害の支援のひとつとして、「経験メモリー(方法記憶)」による問題解決の教育カリキュラムをきちんと体系化して取り入れるのも必要じゃないか…そんな風に感じます。

【追記】誤解する人がいるといけないので…。池谷先生は発達障害ではありませんよー。


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