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私はアスペルガー症候群でしーた♪-あすぺさん_172



今回は、発達障害の人の多くが悩まされている二次障害について、数回に分けてお送りします。



さて、昨年はヘルニアの手術でばたばたしていたので、ブログでお知らせできずにいましたが…


昨年の10月、13年間つづいたうつ病が「寛解(かんかい)」しました。


「寛解」、つまり、「完全に治癒」したということです。主治医から、「うつ病は卒業やな!」と太鼓判をいただきました。現在は、まったく薬なしで、安定して生活ができています。


正直、13年間もがき続けて、うつ病はもう一生治らないとあきらめていたので、驚きでした…。


私がうつ病から卒業した経過を振り返って、発達障害者の精神系の二次障害の治療について、私自身が感じたことを書きたいと思います。


もちろん、全ての人に同じことが当てはまるわけではありません。あくまでも、私の場合であることをご了承いただいたうえで、お読みいただければと思います。


まずは、簡単に私のウツ病歴から。


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私は、13年前にうつ病になって、研究を続けられなくなって大学院博士課程を中退しました。それから、13年間、抗うつ剤と精神安定剤、入眠剤が欠かせない生活を送ってきました。


少し調子のよいときには、数ヶ月、抗うつ剤をやめてみたりしましたが、すぐに薬が必要な状態に戻ってしまいました。数ヶ月の薬をやめている間も、そうでないときも、常にうつとの戦いでした。


すこし油断すると、うつ状態になって、何もする気力がなくて寝てるだけしかできない。全ての判断力が鈍って、決断ができなくなって動けなくなり、悩むばかりで時間を浪費してしまう…。何事にも自信がなくて、自分の生きる価値が感じられない…。いつも、周囲の人の顔色を伺いながらびくびくしながら生活をしていました。


典型的なウツ病の症状を抱えながら仕事をしていました。


そんな中で、ヘルニアによる体の激痛と過度の職場によるストレスによって、私は2度目の社会的ドロップアウトをしてしまいました。それが、2008年8月、休職開始。


その後…

2009年5月、アスペルガー症候群の診断を受ける。

2009年7月末日 ブログを始める。

2009年10月 復職


2010年10月 うつ病、寛解


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私は、1度目の大学院博士課程の中退で、全ての自信を失ってしまいました。その自信を取り戻すために、必死で、技術を学んだり、資格を取ったり、常に何かを勉強してきました。そうするうちに、いつ、なんどきでも、「向上している自分」を感じなければ安心できない状態になりました。


けれど、どんなにたくさんの知識や技術を吸収して、仕事で評価をされても、資格をとっても、いつまでたっても「自信」をつかむことができませんでした。


むしろ、知識や技術を学んで、評価をされればされるほど、「次は、同じではいけない。もっと上へ!」という焦りばかりが生じました。そして、がむしゃらに勉強したり、求められていること以上の成果をあげようと、鬼のようにがんばりました。


なのに…


どんなに、がんばっても…


どんなに、誉められても…


どんなに、知識が増えても…


私には、米粒ほどの「自信」すら手に入らなかったのです。



それどころか、いつも「あと少しで自分の夢に手が届くぞ!大きな自信が得られる!」という所まで来ると、必ず、それまで地道に積上げてきたものが、一瞬にしてガラガラと崩れ落ちて、全てを失ってしまう…ということの繰り返しでした。


だから、私は、

「きっと、もっと、もっと、勉強して自分の技術を磨いて、自分の理想とする完璧な仕事ができるようになれば、自信ができるに違いない」

そう信じて、また一から積上げなおすことしかできませんでした。


今、振り返れば当たり前のことだったのです。


不安定でグラグラでボロボロの「自己肯定感」、つまり、自分に対する信頼感もない状態で、その上にいくらいろいろなものを積上げたって、ちょっとしたことで、心のバランスを崩して簡単に崩れてしまいます。


私は、まさにそういう状態だったのです。


けれど、それに気づかず、何度も何度も、不安定な土台の上に、一生懸命にバランスを保ちながら積上げては、ちょっとした外界からの衝撃でバランスを崩して、全てが崩れ去る…を繰り返していたのです。


この「積上げてはあと少しのところで崩れ去る」経験を繰り返したことによって、「私は、何事も最後までやり遂げられない、いい加減な奴だ。」という自己イメージを強く焼き付けてしまいました。


その結果、他の誰よりも、私自身が自分を全く信用できなくなっていました


そこへ、職場での上司・同僚との人間関係の悪化、過度の仕事のストレスをぶつけられて、私は完全に精神的に壊れてしまいました。


休職から、発達障害の診断までの10ヶ月間は、当時の心療内科の主治医も、20年来の友人も、誰も彼も全ての人が信じられなくなり、毎日、人を呪って生きる…そんな廃人のような状態が続きました。薬の量はどんどんと増えて、単品では処方の上限を超えてしまうので、複数の抗ウツ剤を併用し、抗ウツ剤による副作用を抑えるために、精神安定剤も増量し…完全に薬漬けになっていました。


もう、正常な精神状態に戻ることなんて永遠に来ない…。

この頃の私は、まさに狂気の世界で生きていました。



悪化の一途を辿る私に、当時の心療内科の主治医も打つ手がなく、お先真っ暗という感じでした。


そんな中で、「アスペルガー症候群」を知り、紆余曲折ありながらも、発達障害を専門とする現在の私の主治医T先生に出会いました。(※診断までの紆余曲折に興味がある方は、過去記事「診断までの道のり (1)~(3)」をご覧ください。)


そして、「アスペルガー症候群」の診断をうけました。


どんなに解決しようともがいても泥沼にはまるばかりだった私の抱えてきた問題。

「アスペルガー症候群」というキーワードによって、その解決の糸口が初めてうっすらと見えたのです。


診断を受けた瞬間に全身の力が「すとーん」と抜けました。主治医T先生の判断で、抗ウツ剤も1日にデプロメール2錠だけ、安定剤は必要ないということになりました。


薬を減らしても、その後の私の精神状態は、どんどんと安定していきました。その安定感は、私が今まで生きてきた人生で、初めて感じられる安定感でした。


その安定感の源となったものは、何だったのか…。

13年間も治ることなく、悪化の一途を辿ったうつ病を、「寛解」へと導いたものはいったい何だったのか…


次回の記事では、これらのことについてお話をしたいと思います。



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