- ただいま入院中のしーたです。
あまりに暇なので、積読になっていた未読本を読んでいます。
- 20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義/ティナ・シーリグ
- ¥1,470
- Amazon.co.jp
この本を読むと、いかに人々が一般常識にとらわれ、周囲の空気に縛られ、問題解決を困難にしているか、そして、飛躍のチャンスを棒に振っているかということに気がつきます。
私自身も、発想がとっぴだと言われることが多くあります。
しかし、他の人がとっている方法を投手している限りは、いままでと同じ結果かそれ以下の結果しか得られません。
未知の問題に遭遇したとき、従来の方法では解決できない(からこそ、問題になっているわkで)、そんなときには柔軟な発想ができなければ、解決はできません。
先日、ある研修で課題が出されました。
講師が、グループ討論の前に、一言。
「できる限り、常識的な発想ではなく、自由な発想をしてください。普通ではないことを考えてください」
グループで問題解決を図るのですが、私の発案したアイデアは、同じチームの人々には、飛躍した発想のように感じられたらしく、常識から外れている、プロジェクトの費用を考えると…などと理由付けして軽く流されました。
実は、発案は非現実的なものではなく、私自身が昔、度つぼにはまっているプロジェクトで実践をして、みごとに火を消しとめた方法だったのです。
その経験談を話すと、半数のメンバーは、聞く耳を持ちはじめました。が、頭の固い連中は、問題解決に対して本質的でない問題をあげつらって、「常識的」な方法をとろうとしました。
実際のプロジェクトであれば、私自身も全責任を自分がとるからこの方法でやらせろ…ぐらいのことは言うところですが、演習なので適当に切り上げました。
さて、演習時間が終わって、講師が話し始めました。
実は、実際のプロジェクトの実話だったらしく、その火をみごとに消し止めた方がゲストでお話をされました。
聞いてびっくり。
私が提案した方法とまったく同じだったのです!
そうした発想と行動をとるための着眼点もまったく同じ。
最後に
「このように、常識を取り払って考えることが、問題解決には必要なのです」
これを聞いてさらにびっくりしました。
だって…
私にとっては、まったく「飛躍した発想」ではなかったからです。
現状を見極めて状況を分析すれば、自然に行き着いた解答だったのです。
…こういうことが、普通の人には、ものすごく難しいことなのか?!
どうりで、いままで周囲との摩擦が絶えなかったわけです。
私が、「自然にいきつく」と考えた解答は、普通の人にとっては、「常識を取り払って初めて行き着くことができるスーパー解答」だったわけです。
ちなみに、
同じグループで反対したメンバーが罰悪そうにしていました。
このときに、私は確信しました。
「周囲に反対されたからといって、その発想が悪いとは限らない。」
というjことなのです。
もし、このゲストの講師の実話がなければ、私の発想はとっぴでとんでもない方法だ、で終わったかもしれません。実際にそれを実践して大成功を収めた人がいたからこそ、「常識的な人」にも「すぐれた発案であった」ことが証明されました。
私がグループの半数のメンバーを納得させられたのも、すでに実行して成果を挙げたという実績があるからこそ、耳をk手向けてくれたのです。
では、初めてこの方法を実行しようとしたときはどうでしょうか。
おそらく、誰もうなずいてくれないでしょう。
実際に、私が実行しているときは、周囲は「何を非効率なことをやってるんだ」的な目で見られていました。
しかし、実績が出るにつれて周囲の目が変わりました。
そう。
周囲に反対された、賛成してもらえなかったとしても、それは、そのまま、自分の発想が「使い物にならないバカなもの」であるということとは、まったく別物なのです。
一般の「常識的な発想」の人々は、「実績がある」ものしか認めません。
それは、何を意味するかというと…
まったく新しいもの=ばかげたもの
という判断しか下さないわけです。
そして、勇気ある「誰か」が実行して実績を上げると群がってきます。
だから、私は思うのです。
私は勇気ある「誰か」になろうと。
なぜなら、発達障害の人は、一般常識を一生懸命に覚えてがんばっても、やはり「自然体」ではないのです。
そどうしても限界があります。
つらい思いをして、神経を張り詰めて「常識」を身につけて、「ふつうの人」の着ぐるみを着て生活をしても、やはり、違いに苦しみ続けるわけです。
普通の人にとっては、常識的な道を選択するほうが楽です。
そして、普通でない道を選択することは、ものすごくしんどいことです。
けれど、発達障害の人は、常識的な道を選択してもしんどいのです。
しかも、しんどい割りに、その努力で得られるものは、「中途半端な普通もどき」でしかありません。
努力の割りにあいません。
同じしんどい目をするなら、常識的ではない別の道を選択し、自分自身の発想を行かせる道へ進んだほうが、苦しくても辛くても、がんばれるでしょう。そして、人生の大きなチャンスにもめぐり合えるでしょう。
何よりも、自分が輝けると思うのです。
私は、発達障害の人の社会的役割は
勇気ある「誰か」になることじゃないか…
普通の人が四苦八苦して「柔軟な発想」を手に入れようとしているものを
発達障害の人は、生まれながらにして持っているのです。
なんて贅沢な!!!
この本を読んで、その役割が発達障害の人にぴったりだと私は確信できました。
- 20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義/ティナ・シーリグ
- ¥1,470
- Amazon.co.jp
(アマゾンでは、なか見検索ができるので、冒頭部分が読めます。きっと、読みたくなりますよ!)
いま、「発想がとっぴ」、「発想が飛躍している」、「非現実的」と否定されている人へ。
それがゆえに、道の途中では否定されることや、妨害されることが人よりも多くあるでしょう。
否定されても、実績を上げれば誰も文句をいわなくなります。
自分の信じる道をあきらめずに貫いてください。
そう、発達障害の人が生きていくために、一番必要なことは、
「あきらめない心」
なのです。
すべての発達障害の人が
勇気ある「誰か」に
なるのを応援します!
これは勇気はいらないので
"ポチッ"とお願いします(ペコリ)
このブログが本になったよ♪ご購入はこちらから!
アスペルガー症候群だっていいじゃない 著:しーた/監修:田中康雄
¥1,470 Amazon.co.jp
*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*コメント・メッセージへの返信*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
原則的に、コメント・メッセージへの返信は残念ながらできません。ごめんなさい... (内容により、例外はあります。)理由は、『【お知らせ】コメント・メッセージの返信について』 の記事をご覧ください。
ぜひ、ぜひ、一度よんでみてください。