みなさん、こんにちは、ブログ担当の大嶋です。
今回は僕の入団当初のエピソードの続きです。「リーガCP」開幕戦を終え、交流センターでの通常練習が続く中、韓国の国内選手権への参加が打診され、参加表明した僕。
しかし、その後、自分のサッカー人生最大のピンチ、というより「命の危険」にさらされてしまいました。
当初、頭から腹部にかけて入っている水頭症のシャントが切れたため、交換手術だけで、2週間の入院生活になるはずでした。ところが交換手術から、ちょうど1週間後の9月3日の朝食後、突如として、嘔吐が始まりました。以前にも似た症状が出たことがあったので「急性胃炎」だと思って、しばらく様子を見ていましたが、4日ほど経ったある日「腸閉塞」の疑いが高いという診断結果が出され、鼻から腸へチューブを入れられました。
しかし病状は回復せず、遂に9月16日、自分としては最も受け入れ難い判断が下りました。手術です。そして午後9時過ぎ、手術が始まりました。当初、腸の癒着部分を切り、短くすることで、2、3時間程度で終了するはずでしたが、一切切ることなく、癒着を剥がすという途方もない手法が採られたらしく、6時間という大手術となってしまいました。
自慢ではありませんが、普段、めったな事では弱音を吐かない僕。
しかし韓国遠征や、チームの本拠地埼玉で行われる「全国障害者スポーツ大会」を目前に、入院が長引いてしまう事が決定的になったことで絶望感が襲われ、さすがに落ち込みました。ベッドから見える総武線を見て、なぜだか泣けてきたり。。
「何で俺だけ、ここまで苦しまなきゃいけないんだよ!!」と、やり場の無い嘆きに支配され、鼻からの管が入れられ絶食が続いていた時には「俺、このまま、死ぬのかな?」と、真剣に考えたこともありました。
実際、絶食の影響で体重も10キロ落ち、太ももの筋肉が完全に無くなったのを見たときは、サッカーに対する情熱が完全に喪失してしまいました。サッカー雑誌を見るのも嫌になり、入院前に新調し、支えとして枕元に置いてあったスパイクを見ても、何の感情も湧かないぐらい、心が荒んでいました。
その後、症状が一進一退を繰り返し、徐々に回復、退院数日前に当時のコーチが見舞いに来てくれたことで、完全にサッカー人として復活、51日間の戦いに終止符を打つことが出来ました。
ブログ担当回想録①
ブログ担当回想録②