なぜ私が独立開業したのか | 市議会議員✖️ケアマネ 介護現場18年子育てケアマネの岡崎改革

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岡崎市市議会議員
あすなろケアプラン
主任ケアマネジャー
単独居宅運営

愛知県岡崎市 あすなろケアプラン

ケアマネージャー 前田麗子です
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「なんで 麗子は
ケアマネージャーの仕事選んだん?」
 
 


今のケアマネージャー事務所を
どうして開設したか
 
 
 
今日は そのことを書こうと思います
 
 
 
 
 
 
 
 
32歳の時から 介護の仕事を始めました
最初はホームヘルパー
 
 
 
25歳で結婚して
27歳で長女を産んで
 
 
長女は2000年生まれ
ちょうど 介護保険が始まった年に生まれました
 
 
 
 
 
長女の授乳中 当時テレビから流れていた
コムスンのヘルパー養成講座
 
 
ヘルパーさんがベッドから車椅子に
おじいさんを移乗するCM映像
 
 
 
「この仕事いいなぁ。」
強烈なイメージが残りました
 
 

 
 
 
その後 29歳で長男を出産し
東京から地元愛知へ引越しました
 
 
 
 
 
 
長女が4歳
長男が2歳の頃です
 
 
 
 
新聞広告に
「ヘルパー養成講座 〇月生募集」
 
 
 
 
驚きました
介護の仕事って勉強すれば出来るんだ
 
 
 
 
今からでも 出来るんだって
 
 
 
 
 
 
計8回のヘルパー養成講座
確か6万円の講座
 
 
 
小さな子供を夫に見てもらい
丸一日家を空ける
 
 
 
収入もない私が 6万円の講座を受ける
 
 
 
 
 
 
結婚後の大冒険でした
 
 
 
 

 
 
 
33歳でヘルパーの資格を取り
ヘルパーのパートの仕事を始めました
 
 
 
 
 
保育代 > パート代
 
 
 
 
でも すごく楽しかったんです
自分の仕事で利用者さんが
 
 
 
「ありがとう」って言ってくれる
ヘルパーの訪問を待っていてくれる
 
 
 
 
 
 
その頃です 
実母が突然倒れて
 
 
3か月の入院後亡くなりました
 
 
3か月人工呼吸器をつけて
しゃべることもできなくなった母
 
 
壊疽で左足のひざから下を切断した母
 
 
 
倒れる直前 母が普通に会話をできていた時
「麗子はケアマネージャーの仕事があってるよ。」
 
 
 
なにげなく言った 母の一言が遺言となりました
 
 
 
入院中の病院での不注意で
母は痰をのどにつまらせて窒息死でした


 
 

 
 
ヘルパーの資格を取ったばかり
インターネットが今ほど普及してないころです
 
 
どうしたら ケアマネージャーになれるのか
 
 
 
母は私に 大きな宿題を残して
天国に旅立っていきました
 
 
 


 
 
 
その後 子供の成長に合わせて
ヘルパーのパートから
 
 
午前中だけ特別養護老人ホームの
パート職員をしました
 
 
 
その間もケアマネージャー試験を受けるための
実務経験5年間を積むことができました
 
 










 
 
39歳の時
ケアマネージャーの試験を受けました
 
 
長女が6年生
長男が3年生の時でした
 
 
 
子供たちが合格消しゴムを作ってくれて
試験会場に送り出してくれました
 
 

 
 
猛勉強をしました
子供が応援してくれました
夫も応援してくれました
 
 
 
一発合格をしました
 
 
 







 
ケアマネージャーの仕事を始めたのは
長女が中学1年
長男が4年生の時でした
 
 
 
これまで ずっとパート職員でしたので
なんとか仕事と家庭と育児を両立してきました
 
 
 
 
しかし ケアマネージャーとして就職した会社
条件は正職員でした
 
 
 
ケアマネージャーの仕事はとても面白い
 
やればやるほど
もっと勉強したくなる
 
 
それに比例して
子供のことがおろそかになる
 
 
 
 
 
常に子供に対する罪悪感のなかで
ケアマネージャーの仕事をしてきました
 
 
 
 
夏休み 朝8時前に出勤して
夜7時まで 一日中
 
長男は家で留守番をしていました
 
 
 
夏休み 宿題を見てやりたいから
事務所に連れてきた時
 
 
上司に注意を受けました
 
 
 
上司は「子供さんを連れてきていいよ。」
最初はそう言いました
 
 
 
しかし ほかの職員から
「なぜ前田さんだけ許されるのか?」
 
 
上司は職場のバランスを考えて
子供を連れてくることを禁じました
 
 




 
 
 
女性が働きやすい職場がないなら
私が自分で作るしかない
 
 
 
 
そう決心して
42歳の時に独立開業をしました
 
 
それがあすなろケアプランです
 
 
 


 
 
 
私たちケアマネージャーは
対人援助職です
 
 
 
援助者自らが満たされていなければ
良い支援はできません
 
 
障害を持つ人
高齢者の人
 
 
心から笑顔が出る人に
支援をしてもらいたいはず
 
 
 
利用者に寄り添えるためには
まずは自分が満たされていないといけない
プライベートが充実していないといけない
 
 
 
 
あすなろケアプランのケアマネージャーは
プライベートを充実させます
 
 
社長自身が女性で
仕事と家庭と育児の両立に悩み
 
 
なんど悔し涙を流したか分かりません
 
 
 



女性の敵は女性であることもあるし
女性の最大の味方は女性でもあるんです
 
 
 





 
ケアマネージャーの仕事は
「好き」が根底にないと出来ない仕事です
 
 
ケアマネージャーは実績を積み上げた人
だけが就ける仕事です
 
 
 
大好きな仕事
努力して就いた仕事
 
 
 




どうした女性がやりがいのある
仕事をストレスなくやれるのか
 
 
 
いつも そんなことを考えて
事業所運営をしています






 

 
 
「麗子はどうしてケアマネージャーの仕事を選んだん?」
 
回答になっているでしょうか?
 
 


 
 
志が同じ人たちと
笑いながら仕事をしていきたい
 
 
そんな思いで事業所運営をしています
 


 
 
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