私も鍼灸の世界に入って、20年くらい経ちました。
残念ながら?、年数から言えば中堅でしょうか。
20年の間に色んな先生の治療法を勉強させて頂きましたが、
その中で「師匠は?」と聞かれたならば、
「形井秀一筑波技術大学名誉教授(現洞峰パーク鍼灸院院長)です」
とこう答えています。
形井先生と出会ったのは、赤門鍼灸柔整専門学校の学生か、卒後一年くらいの時に参加した
仙台で行われた鍼灸の学会でシンポジウムか何かをやっていた際に偶然隣のイスに座っていたのが最初でした。
隣に座られただけでパーッと明るいオーラで出ている(ような?)人で、
”この先生はいったい何だろう?”と思ったものです。
パネラーに会場から質問している雰囲気はただものではないと思わせるのには十分な理屈と柔軟性を併せ持っていました。
”この先生、すげーかっこいいなあ どこの先生だろう!”と
私が知っている開業している先生や専門学校の先生とは全く違っていました。
その人が後に師匠になるとはその時は夢にも思いませんでした。
私は専門学校を卒業後、山形県の整形外科で働きました。
そこの先生は中国鍼で腰痛の患者さんを治療していた珍しいドクターで、
鍼灸師である私もたまに患者さんに対してハリ治療をさせて頂きました(病院なので灸は×)。
しかし、卒後で技術は殆どないに等しかったので、効いた人もいましたが効かない人もいました。
また、慣れないハリ治療に時間がかかり、周りのスタッフに小言を言われることもあり、
徐々に自信を失っていきました。
鍼灸の治療法に”経絡治療”というものがありますが、
当時はそれをベースに脈診だ、腹診だ、舌診だとやっていましたが、
全く通用しませんでした。治らなかったのです。
今みたいに脈の変化も、体表の変化も分からず、自分自身効いたかどうかも分からないというありさまでした。
そこで電気針をしたり、出来る範囲で色々やりましたが、満足いく結果はあまりなかったと思います、覚えていません。
記憶しているのは片言の日本語のキムチの匂いがする年配の患者さんの肩関節周囲炎が徐々に可動域が制限され、
五十肩になって本人も私も非常に苦しんだ思い出は今でもよく覚えています。
それでも懸命に来ていただきましたが、結果がどうなったかは忘れてしまいました・・・。
そんな仕事内容に悩んでいる時、ある本に出合いました。
”治療家の手の作り方-反応論・触診学試論- 六然社”です。
著書はあの形井秀一先生でした。
その本の中身はまさしく鍼灸治療を行う上での触診のヒントやポイント、手や指の感覚訓練の仕方、
実際の体表反応、ハリの打ち方・打つ場所・・・が載っている名著なのですが、
最も優れているの箇所は”肩こりや腰痛を手や足にハリを打つことで良くする方法”が書いてあることです。
鍼灸専門学校の実技では初めに鍼の基本的な打ち方を習い、その後肩や腰などにハリを打つことを習います。
ベースは肩こりなら肩や首、背中に打ち、腰痛なら腰にハリを打つのです。
それだけでも良くなるし、ハリの臨床家の中にはそれだけでも患者さんを集めている人も沢山いるでしょう。
これを”局所治療”と呼んでいますが、筋肉や神経などの解剖学を学ぶとそれはそれは大変奥が深く難しいのです。
初学者にも出来るし、深めれば”レベルの高い局所治療”もあるということです。
また、鍼には東洋医学的な治療法も存在し、陰陽論、五行説、中国の医学古典を読み解き、
体系づけたもの”いわゆる古典派・東洋医学派”系の治療を行っている先生方も沢山います。
中医学系、経絡治療系などどれだけの団体があるかはよく分かりませんが、
そのような東洋医学的な解釈でハリを行っている集団がたくさんあります。
そのような先生方は脈を診たり、お腹を診たり、舌を診たりして、ツボを決めてハリを打ちます。
東洋医学系の先生は、前述した肩こりならいの一番に肩にハリを打つということはまずしません。
手や足にハリを打って、もう一度お腹や脈を診てその変化をとらえます。
変化した場合は、症状も軽減します(ことになっています)。
話しは横にそれましたが、その本に衝撃を受け、整形外科を退職して、
形井先生がいるつくば市にある筑波技術大学付属東西医学東洋医療センターの研修生になりました。
初めて先生と出会った時から2年後でしょうか。
ついに憧れの先生の門下になることが出来ました。
形井先生は当時(今から13年くらい前)金曜日が鍼灸外来で臨床をしていましたが、
12ブースあるうちの5か6ブースを形井班で使っており大忙しでした。
形井班の研修生は5~8人(1年目から3年目くらいの研修生)がついており、研修生は1枠60分がだいたいの持ち分でしたが、
慣れないからか90分くらいかかることもざらでした。
形井先生は20~30分に1人のペースで患者さんを治療しており、
その時間に自分の患者さんが入っていない研修生が先生の患者さんの問診をしたり、抜針したり、
先生がハリを打つときにハリ渡しをしたりしました。
当時、先生は殆ど寸3-1番を使用して、後頚部のところは寸6-2番(すべてセイリン製)を使用していました。
仰向け13分、うつ伏せ7分と決められており、ハリの数は20本くらいでした。ほぼ切皮~数ミリの深さです。
局所は殆ど全くと言って良いほど打ちませんでしたが、患者さんは良くなっていました。
坐位で首や肩や背中や腰を確認してから、
仰向けで腹診をして(あまり脈診はしません)、前腕・下腿にポンポンとハリを打ち、
うつ伏せにしてまた前腕・下腿にハリをして首や肩、背中、腰を手のひらでサーっとふれて状態を確認して、
張っていたりするところがあればそこと連動する下腿のハリに雀たく術を行ったり、母指の爪で鍼柄をはじいてから
再び、手のひらでさすって変化があったことを確認して抜針。
そのような治療法で良くなっていました。
その時に手の空いている研修生が”ハリ渡し”を担当するのですが、
阿吽の呼吸が合わないと、先生がリズムよくハリを打つことが出来ません。
私は”この”ハリ渡し”が好きでした。
それは形井先生のハリの手技をこんなにも間近でみられるのだから、
それはそれはいつもウキウキしていたものです。
その時に疑問があったことをメモし、治療終了後に先生に質問していました。
その時のメモは今も大切にしまわれています。
形井先生はとにかく治療が上手でした(私の主観も入りますが・・・)
場合によっては病院や他の治療で良くならない患者さんや他の先生の班であまり良くならなかった患者も同じように良くなっていました。
因みに他のつくばの先生方は鍼通電をしている先生は多かったと思います。
中にはW先生は経絡治療を行っていました(大変人気が高い先生でした)
鍼灸外来が終わり、カンファレンスが終わると各班の勉強会がありました。
形井先生が肩が凝っていた私に座ったままの姿勢で、太谿という内くるぶしのところに浅いハリをした時、
右肩がプシューと空気が抜けるがごとく柔らかくなっていくのが分かりました。
”えっ、何故!!?”それは実感として感じたので、ものすごくびっくりしたのと、
これからこの技術を学べるワクワク感でハッピーでした。
いわゆる”ビビッ”ときた人を師匠に持てるのは幸せなものです。
ただこの技術は触診とハリの微妙な浅深を調整しなければならず、
傍から見るよりもずっとずっと難しいものでした。
先生に「ここだよ」と言われた場所を探っても私の指感覚ではツボの位置がよく分からず、
もちろんそこに打っても筋肉が緩んでくれず・・・
なんで自分はこんなにも才能がないのか・・・
と思っていました。
何度か恐れ多くも形井先生の患者さんを担当させて頂きましたが、
もちろん先生の患者さんは難易度レベル★★★★★の方が多く、
「うーん・・・まだ・・・・(コリがありますね)」と
なかなかコリや張りの反応が良くならず冷え汗を流したものです。
そんな先生の掌を何度か見せて・触らせてもらいましたが、
ブヨブヨして、張りが無く空気が抜けた紙風船の様でしたが、
その手で背中などを撫でられると、極楽浄土の気持ち良さでした。
それに比べ、自分自身の掌をみてみると、
パーンと張りがあって一見良さそうに見えますが、触診されると当たりが硬く、
先生のそれに比べるとまだまだのようです。
夜の勉強会で研修生を患者役に仕立て、
ハリの練習をしている時に触診で苦戦していると、
向こうを向いている先生が
「もうちょい、上なんだよね。あっ、それ行き過ぎ」
と冗談のような、本当の様に
こちらを見ないで答えているのがびっくりしました。
”先生は本当は何か見えてるの???”と不思議でした。
当センターには世界中から外国人の医師や鍼灸師が度々訪れていますが、
英語の堪能な先生は敬語で質問されたものに、
スラスラと答えているのが印象的でした。
そんな形井先生も数年前に退官され、
現在は同じつくば市に鍼灸院と鍼灸研究所を開設され、
臨床と鍼灸師の育成に力を注がれています。
私は数年前に全日本鍼灸学会でお目にかかったのを最後に、
お会いできていません。
また、そのうちに青空にたたずむ雲のようなオーラを感じたいものです。
ある難病患者さん(Aさん)に私は質問を受けました。
Aさん 「先生が私と同じ立場で、治療を受けるとしたらどんな治療ですか?」
私 「私の師である形井先生に治療してもらいたいですね」
Aさん 「えー、だったらその先生紹介してよ!(笑)」
私 「苦笑い・・・」
先生、いつまでもお元気で!!