最近分かってきた実感することは
”治療が効くか、効かないかは紙一重なことが多い”ということです。
接骨院でも、整体院でも治療者は、
ここをこうすると治るということが分かっているからこそプロなんであって、
そこの幅が大きい人は名人であり、
初学者はこの幅が狭いのです。
そもそも治りやすもの・人というのは、
名人級の治療家は当然であるが、
初学者でも問診や検査、または触診等々で”悪くなっている状態が把握しやすく、
それがどうすればよくなるかというプロセスを頭に浮かべやすい”ものをいいます。
しかし、どこに治療しに行っても良く治らないもの・人は、”何が悪くなっているのかが分からないもの・人”のことをいいます。
例えるなら、殺人事件の現場検証で遺留品が多ければ、
捜査しやすく、犯人逮捕も楽であるが、それが少ない時は、
少ない証拠で、うんうん唸って犯人像を考えねばなりません。
治療とは何故そうなったのか?、どうすれば良くなるのかを導き出し、
施術よって良くなる状態に変化させていく仕事です。
治りにくいものを治すということは、
問診時の患者も忘れているような的確な質問や触診時の数mm単位での施術が出来るかということです。
最近、数mm単位の微妙な刺鍼が劇的に症状を改善させたことが数回ありました。
これらはねちっこいほどの触診を行わなければ、良い結果は到底得られなかったろうと思います・・・・。
自分が適当な施術をしていたとは思いませんが、そのへんの”執念に似た一手”がびっくりするような結果になるのだ感じています。
これはまさに紙一重なんだと・・・
そう考えると
少し怖い、否、けっこう怖いと感じる今日この頃です。