昨日、目覚める直前に見ていた夢の中で、高校時代に好きだった先生と話していた。

 

細かくは覚えてないけど、一旦話して、また別の日に会いましょうという話になったのを覚えている。

 

 

夢を見ると、すかさずネットでその夢の意味を調べたりする。

過去に好きだった人の夢であれば、その相手に未練があるというのがよくある説。

 

私の場合、その方に対しての恋愛感情はもちろんあったのだけど、同時に当時からずっと憧れ尊敬できる存在でもあった。

 

高校時代に好きだった、と書いたけど、大学3,4年生になってからも会って、それから社会人になってしばらくしてからも定期的に会っていた。

30歳前半くらいまで、会ったり会わなかったりをしていた。

 

いつ会っても先生は先生で、私の大好きな、いつでも明るくてはきはきしていて、いい先生だった。

 

何歳の頃だったか、先生が結婚して、子供が生まれた。

先生が幸せならいいなと思った。

 

 

男性は知らないけど、女性同性愛者は先生を好きになりがちと聞いたことがある。

身近な大人に頼りたくなったり、憧れたりするのは異性愛同性愛関係ないかもしれないな。

 

私も例に漏れず、先生のことを好きになった。

 

しばらく会っていないのは、コロナの影響もある。

また会いたいな、という気持ちは年に数回訪れるけど、結局実行していない。

 

会いたいと思った時に会った方がいい、とはよく言うけど、今会っても堂々と言えるようなこともないし、今の姿を見せるのは恥ずかしいと思ってしまう。

 

今は恋愛感情はないとは言え、ずっと尊敬している人だから、私の弱い部分や情けない部分も見せてきてはいるけど、今の年齢になったのならそれなりの成長を見せたい。

 

先生は絶対に落胆したりはしないだろうけど。

 

 

ふと高校時代を思い出す。

今はあんなに胸の痛い感情を抱けない。

 

先生の周りはいつもキラキラしていたように思う…

話しかけるとまっすぐ私を見てくれていた。

それなのに私はとにかく恥ずかしくて、たいした話もできなかった。

 

 

その先生と、夢でどんな話をしたのかは覚えていない。

そしてその夢の意味も分からない。

 

未練はない。

きっと現在悩んでいるからかもしれない。

誰にも深い部分を相談できないし、相談してもきっと聞いてくれないのではないかと思ってしまう。

 

でも先生なら、あの頃と同じように私のことをまっすぐ見て、きちんと答えをくれるような気がする。

 

だからきっと心のどこかで先生の存在を求めて、夢の中で相談したのかもしれない。

 

先生にまた会いたいな。

 

 

 

ところで、昔からブログを書くルールがあって、そのひとつは、その日のブログタイトルそのままの言葉をブログ記事内に書かないということ。

今日はタイトルから決めたので、それをギリギリ避けながら書けた。

自己満足。

 

先生のことは大好きだけど、冷静でもいられるようになった。

あの頃のように、先生を目の前にしたら心の中は焦って、いつものように話せない自分ではないのだ。

 

けれど、歳相応になったのかが自信がない。

だからこそ会いたいと思ってしまう。

 

先生、元気でいるのかな。

やっぱり連絡を取ってみようかな…