多様性の人 | 明日を恐れない心

明日を恐れない心

折れそうな日々、そんな心が欲しいと願う私。レズビアンです。

コロナ前は年に一度くらいは会っていた友達数人がいるんだけど、もうここ数年会っていない。

 

私以外の女子はみなさん結婚して、子供がいる。

大体一人っ子。

 

連絡も取り合っていないから、どうしているのかなと思う。

むしろ連絡がないってことは無事なんだろうけど。

私の方は、もしかしたら結婚してるかもと思われている可能性もなくはない。

 

最後に会った時、みんなの子供はまだ幼稚園から小学校3年生くらいだったかな。

親の集まりに楽しそうに参加してたけど、小3くらいになると避けるようにもなるものかな?と思ったんだけど、そうでもなかったらしい。

その子は男の子だったけど、女の子だと違うんだろうか。

 

 

以前友達の家に集まった際、友達が自分の子に向かって「ほら、お姉さん(私)にそれ渡して」って言ってて、ちょっとした衝撃を受けた。

お姉さんともおばさんともなんか違うじゃん…

でもどっちか迷ったら前者選ぶよね。

 

私が子供の頃は、友達のお母さんは完全におばさんだったけど。

でも未婚の人に向かっておばさん、と言うのも少し難しいのかな。

子供にとって、大人の呼び方を判断する基準は、年齢だけではなくその大人の立場もあるかもしれない。

 

正直、どっちに呼ばれても不自然。

私の周囲に子供はいないから、突然現れた子供にどう呼ばれようと変な感じがする。

 

何歳になっても自然なあだ名があれば、それが一番いいのかもしれない。

残念ながらその友達は私のことを名字で呼ぶんだよな。

体育会系かよ。

 

 

 

みんな幸せなのかな。

幸せそうには見えたけど、その家族のことは当事者たちにしか分からない。

 

人の幸せ見ると、時々自分の境遇を残念に思うのだけど、決して妬んだことはない。

むしろみんな幸せであれ、と願ってる。

私が望むのは世界平和だし…

 

世界の平和と、私の幸せ。

どちらも結構難しいようだ。

 

みんなが幸せであれば自分の幸せは気にしない、とは言わない。

私の幸せとみんなの幸せは別物だ。

 

本当は明確な幸せ像が必要なんだけど、それがよく見えない。

何事もゴールは明確な方が断然いいと言うのに。

 

ざっくり数年後には幸せになりたいなぁと思っているだけなので、全く前進はしないな。

方向性も分からないし、取り合えず不幸にはならないようにしているので、今のところ幸せ街道には入れない。

 

 

友達の子供は、大きくなっただろうな。

 

ここらでひとつ、私は実はレズビアンなので男性に興味ないし結婚もしないとカミングアウトしたらどうだろうか。

子供へはいい影響与えるだろうか。

いい教科書となれるだろうか。

 

そんなことを考えてみる。

友達は私のことを絶対に嫌いにはならないだろうけど、子供に対して言っていいかどうかは分からないね。

友達のことは分かっても、子育てに対する考えは全く知らない。

 

別にカミングアウトの予定はないので、考える必要もないことなのだけど。

 

私のこの先の人生で、カミングアウトをするというイベントはあるのかな。

する時は幸せな時だと思っているので(彼女紹介したいとか)、そういう時が来たら嬉しいかもしれない。