誰でも気軽に自分の意見を発信できる世の中になって、いいこともあれば悪いこともある。

何気ない投稿が多くの人の目に触れるということは、怖いことでもあり、何かのチャンスでもある。

 

専門家でもなければあらゆるツールを使ってきたわけでもないのだけど、SNSで炎上する原因は2つある。

 

1つ目は、承認欲求が強いこと。

2つ目は、匿名性。

 

若い人とかは、最初からSNSがある生活だからか、バズりたい、大勢に認知されたい欲求が強い人が多そう。

そしてそれが簡単に叶ってしまう。

しかし認知されたい欲求が強すぎて、善悪の判断できなくなる(知る機会がなくなる)人はいよいよやばい。

 

そして匿名であることによって、発言の攻撃性も高まるし、言い逃げもできる。

抑えておけない悪い感情を、しかも誰か特定の人物に直接ぶつけることができる。

 

 

どちらも分かることだけど、なかなか対策は取りにくいものだ。

別に承認欲求が強くても悪いことではないけど、強くなりすぎると他に悪影響が出そう。

 

私も承認欲求が強いなと自覚することはある。

それはSNSと言うか、ネットと繋がる社会になって初めて実感した。

 

誰かと簡単に繋がれるし、友達になれるけど、ネット上だからお互いの表情や本音はまるで見えない。

時にそこに勘違いも生まれる。

そうして自分の中にある黒い感情が膨れ上がっていくのに気づくのだ。

 

 

では、そういった便利なツールがない時代の方がいいかと言われると、そうとは言えない。

いつくらいまでの便利さがちょうどよかったかな。

スマホは便利だけど、LINEは必要だろうか…Twitterって必要だろうか…

 

そういった便利で幅広く使用できるツールに付いていけないな、と思った時点で既に時代に遅れつつある、つまり歳を取った証拠だと思う。

 

色々手を広げすぎると、変に知り合い広がると怖いし、知らないうちにデータどうなっているか分からずに怖いから、私はSNSもそんなにやらない。

怖いという感情は大切だけど、この場合は単に若さを失ったが故の恐怖心な気がする。

 

 

2つ目に書いた匿名性だけど、これもいい所と悪い所がある。

便利さというのは、その両方を兼ね備えているから注意しなくてはならない。

 

以前に芸能人が、Twitterは悪口が書いてあって嫌だから見ないと言っていた。

それを聞いて納得する部分もあったけど、それ以上に残念だという感情も強かった。

 

なぜなら、その芸能人は長く活躍しているし、好感度も高いからいろんな番組に出ている。

つまり、アンチよりも断然ファンや好感を持っている人の方が多いのに、そういった人たちの声も聞かないということだ。

 

なんでもそうだけど、少数の迷惑な人の為に多くの健全な人たちの幸せを制限されるのはおかしい。

少数のおかしな人がいるせいで、同性婚を認められない、と言われると悲しくもなる。

 

 

 

私がブログをやっているのは、承認欲求と匿名性がバランスよく手に入れられるからだ。

自分だけではなく全世界に自分の日記を公表するという、一見恥ずかしい行為。

だけど誰か一人でも発言に共感してくれたり、認めてくれる人がいたら嬉しいと思う。

 

しかしこれは匿名だからこそいいのだ。

普段の私を知っている人が、私の内面、つまりブログまで見るなんてことがあったら、それは最も恥ずかしいことだ。

 

だから、ブログは承認欲求を満たしつつも、匿名でなければならないのだ。

 

ブログから知って、そのあとリアルで私を知る人は、私のことをどう思うのかは興味があるけれどね。