お客様と話していて
この記事にも関連するんですけど
すごく良い例えで話してくださったので
それ書いてもいい?って思わず聞いちゃった。

それぞれが畑を持っている。
その畑の大きさとか能力とかほんとみんな全然違うの。

愛の畑みたいなの。

そこで育てたお花を男性が女性に
くれるんだけど

それで、一週間に
たんぽぽ1輪しかくれない彼がいいのか
毎日バラの花束100本くれる彼がいいのか


1週間にたんぽぽ1輪しか育てられない
畑しか持っていない人に対して
なんで毎日バラの花束100本くれないのよって
女の子は怒るんだけど
そもそもたんぽぽ一輪の畑しかない
彼を好きになったのは女の子自身なんだよね。

その畑はちょっと土が痩せていて
ちょっと気合い入れて耕したりとか
いろいろやってたらもうちょっとたんぽぽいっぱい取れるかもしれないけど


でもそれぞれの人の限界があるんだよね


みんな、
人の、
あるいは自分の、

この限界であったりとか
ポテンシャルの部分を
しっかり見つめないで

他人の畑ばっかり羨ましがったり
なんだか本当に訳わかんないことになってると思うの。


たんぽぽがいいのか
毎日バラくれる人がいいのか
枯れたドライフラワーみたいなやつでもいいのか


それ自分で選んでいいんだよ


自分が何求めているかで選んでいいんだよ


たんぽぽの人に
バラくれよって言っても無理だよ


自分がどれだけたんぽぽ好きか
あるいはそうでもないのか
よーく考えてみよう



うちの彼はどうだろう



雑草みたいなありふれた小さな花を
毎日どっさりくれる
きれいな花は一切くれないけど
ありふれた小さな花をたくさんくれる


もっとゴージャスな花がいいとか
思ったこともあるけど

結局42歳の私は
雑草みたいなありふれた小さな花を
平凡な優しいひだまりみたいな感じを
愛しているの




それ多分私自身が
本当はゴージャスな花に別になりたくなくて
雑草みたいなありふれた小さな花だから
道端にさりげなくあって
道行く人が何となく癒されるような
でもお日様にいつも照らされているような
そんな感じが好みだからかな


私はクラブとかも行ったことなくて
何ならカラオケすら嫌いだったんだけど
彼にゲームセンターとかカラオケとか連れ出してもらって
生まれて初めてそういうの楽しいと思った。
本当に修道女みたいな
そういうとこあったんで。

彼なりに考えて
いつも私を楽しませようと思ってくれてるとは思う。ちょっとポイントずれてなって思う時は端あるんですけど
まぁいいや、私この雑草みたいな花
意外と嫌いじゃない。そう思って見てみたら
なんか毎日しっかりくれるのが
やっぱりすごく大事だな。と。  

私が困っているときにちゃんと助けてくれる。
絶対に見捨てない。
その感じが好きだ。




あと、お客様から、
恋愛するのが遅すぎないかとか
聞かれたりするんだけれども
全然遅くないよ

それぞれの年代なりの恋愛があったり




子供時代に先に大人をやっちゃった人は
うんと大人になってから
思春期やり直すとか
ざらにあります。

なんだかわからないけどそういったプロセスを進もうって言うふうに決めて生まれてきた場合もあるんだと思う。

それをちゃんと見守っているような存在もあるような気がする。

生まれてきた意味がわからないような
女としての幸せがわからないような


なんで私ばっかりこんな目にって言う
苦しい思いをたくさんしてきた方もいっぱいいらっしゃるんだけど


どうか自分の畑
自分で耕すこと忘れないでください
あとどんな花咲かせたいのか
どんな花が好みなのか
どんな花をもらいたいのか
時期によっても時代によっても年代によっても変わって構わない


今のご自身がどう感じるのか
本能的な直感を
どうか感じて行ってください。