今の若い人には、
単にウザい位暑苦しい元テニス選手、という感覚しか無いのだろうか。
時々ネット等で、
大した実績も無いのに上から目線、とか、
たかだかランキング46位で何言ってるんだ、とか、
書き込んでいるバカがいるが、
分かってないのはお前の方だ。
彼が現役だった頃、
アジア人のランキング選手はマイケル・チャン位。
でもそのチャンはアメリカで生まれ育っている。
アジア人には、50位以内どころか、
100位内に入るのさえ至難の時代だったのだ。
ナブラチロワが出てくるまで、
ベースラインでラリーを続け、
相手のミスを待つのが標準だった女子はともかく、
強烈なサーブ&ボレーで打ち勝つ、
パワーテニスの男子では、
体格的にも体力的にも、
全く太刀打ちできなかった。
そんな中、彼は孤軍奮闘を続けたのだ。
阪急東宝グループの総帥一家に生まれながら、
その庇護下から飛び出して、
慶應高校を辞めて、
テニスの強豪校に転校した。
その後ボブ・ブレットという名コーチに見出され、
アメリカに来ないか、と誘われて単身渡米した。
高校生の時に、だ。
現代ではない。
40年も前の話で、
当時はネットは無く、
国際電話もバカ高く、
一旦行ったら1人で頑張るしかない環境で。
しかも英語が話せるわけでも無かったので、
懸命に勉強もしながら、
現地の高校を卒業している。
自分がプロになるとは想像もしていなかった、という松岡だが、
その環境でコーチに、
プロの試合に出てみないか、と言われ、
出たら本人はもとより、
コーチもびっくりの結果を残し、
猛反対する母親を説得してプロテニスプレーヤーとなった。
彼がウインブルドンでベスト8になった試合は生で見ていた。
深夜の中継を信じられない思いで。
試合終了の瞬間、
歓喜の余りコートを駆け回った後、
大の字になって倒れ込んだ姿は、
今でもはっきり覚えている。
見ている私も泣いたけどね。
当時のグランドスラム大会の中継といえば、
コナーズやマッケンローやサンプラスやボルグ等々、
名だたる名プレーヤーが当たり前だった。
正直、こんな日が来るとは、と思った。
日本の男子テニスが世界と戦える日がやっと来たんだ、と。
松岡修造が凄いのは、
その後プロを続けながら、
「修造チャレンジ」を立ち上げ、
次に続く若手の育成に力を注いだ事だ。
松岡修造がいなければ、
間違いなく錦織圭はいなかった。
錦織の引退発表を受け、
どれだけ影響を受けたか、と書き込んだ大坂なおみも、
ひょっとしたらいなかったかもしれない。
勿論、錦織の才能と努力なくして、
あの活躍は無い。
だが、彼にその道を示したのは、
やはり松岡修造だったろう。
1人で道を切り開いた彼は、
同じ苦労をせずにプロテニスプレイヤーへと続く道を整備したのだ。
本人はその功績を誇る訳でも無いけど、
知っている人は知っている。
だが、それを知らずに、
いや、知ろうともせずに、
バカにしたり軽んじたりする人達は許せない。
彼の情熱と忍耐なしに、
今日の日本のテニス界は無かったのだから。