再審無罪が確定した事を受けて、

昨日、静岡県警本部長が、

袴田巌さん宅を訪問し、直接謝罪をした。


勿論現職の県警本部長が警察に入る遥か前に起きた冤罪事件ではある。

だが、証拠を捏造した、と裁判所に断罪された冤罪事件なのだ。

それが確定した今、

組織のトップとしては当然の行動だろう。

言い訳がましく不満を垂れ流した、

検事総長とは大違いだ。



面会に同席した袴田さんの姉のひで子さん(91)は、

「58年も前の出来事で巌も私も運命だと思っています。いまさら警察に苦情を言うつもりはありません」と述べたそうで、

「当時の人ではないし、職務上、来ているのでしょうから、その人に言ったところで何もないと思って申し上げませんでした」とも。


そりゃ言いたいことは山程あったろうが、

この人に言っても仕方ない、との判断だったのだろう。



が、その時に冤罪に加担した人が、

全員死に絶えた訳では無いだろう。

存命の人がもしいるなら、

今、何を思っているのだろう。

当時の警察や検察関係者が謝罪した、なんて話はとんと聞こえて来ない。


また、長年冤罪と認定されなかった為に、

捏造証拠を鵜呑みにして、

静岡地裁で死刑判決を出した後、

褒章を受けた裁判官もいる、という。


唯一無罪を主張した裁判官は、

死刑を認定した2人の裁判官が亡くなるまで、

言い出すことも謝罪もできなかったらしいので、

既に亡くなっているのだろうが、

家族はその事実を知り、何を思う。


少なくとも褒章に値する裁判官人生だったとは思えないので、

返還すべきでは?




「10人の真犯人を逃すとも、

1人の無辜を罰するなかれ」


刑事司法には、大前提となるこんな法格言がある。

疑わしきは被告人の利益に、とも言われる。


だが現実にはそうではない事がままある。


人は間違いを起こす生き物だ。

思い込みで間違うこともあるだろう。

その事自体は、ゼロにするのは難しい。

 

問題は間違いが分かった後だ。

間違いを間違いと認め、真摯に反省し、

間違いの元がどこにあったのかキチンと検証し、

2度と繰り返さない、という強い決意で改革する。


それこそが冤罪被害を受け、

長く闘ってきた人に対する、

唯一、謝罪し報いる方法だろう。



だがあの検事総長の態度を見ていると、

何ら反省を感じないし、

こんな人をトップにしている以上、

この組織はまた繰り返すな、としか思えない。


袴田さんの冤罪事件の頃、

同様な証拠捏造による冤罪が、

他にもかなりあったのではないか、と推定できる。

既に刑期を終えたり、

本人が亡くなったりして、

泣き寝入り状態にある人が、

一定数存在するのではないか。


それが顕在化する事を恐れて、

検察は証拠捏造を認定されたくなかった、という話もあるが、

隠したって事実が消える訳では無い。


検察にはもっと謙虚になって貰いたい。

冤罪を起こしたことより、

起こす土壌があり、

それを黙認してきた事、

それどころか積極的に隠そうとしてきた事、の方が、

法に携わる者として遥かに恥だし、

権威を傷つけるのだということを自覚すべきではないか。