決断が注目されていた斎藤兵庫県知事は、

不信任決議に伴う失職の後、

出直し選挙を選択した。


まあ言われていた様に、

議会との対立による不信任決議では無いので、

議会解散は道理が無いし、

そんな中で今まで誰もやっていない議会解散をすれば、

県民の理解を得られないと判断したのだろう。


これで少なくとも県議会議員選挙にはならないので、

その分の税金は無駄遣いされずに済んだ。

知事選挙も失職からの選挙なので、

仮に斎藤知事が再選されても任期は4年、

元々来年予定されていた選挙の前倒しになるだけなので、

最低限の出費で済んだ訳だ。



さて、その斎藤知事だが、

記者会見での発言は、

まるで選挙演説のようだった。

この3年の実績を延々とアピールしていて、

一方、この事態になったことへの責任については、

未熟なところがあった、と一部認めながらも、

自分は間違っていない、と、

改めて正当性を強調。



これまでの発言や涙の会見でも、

違和感は沢山あったが、

今回の会見を見ていても、

亡くなった県民局長への言及も、

少なくとも私が見ている範囲や報道では皆無だった。 


この人の言動を見ると、

人の命を何だと思っているんだ、と言いたくなる。

むしろ、勝手に死なれて迷惑している、とすら思っているんではないか、という気がしてくる。

自分が死なせた、とは微塵も思っていないのが伝わってくるのだ。



出直し選挙に出ることを決めたのは、

高校生が激励の手紙を届けてくれた事に感激したから、と、

涙目で言っていたけど、

何をお涙頂戴話にしようとしてるんた?としか思えなかった。


斎藤知事の政策の中には、

確かに県民の為になる改革もあったろう。

その一つが、県立大学の無償化だ。


大学に行きたいけれど経済的に難しい、という高校生にとっては、

斎藤知事がこの政策をやってくれれば、

頑張って、県立大に合格すれば無償で大学に通えるから、

頑張って欲しい、と単純に思う人もいるだろう。


だが、問題になっているのはそこではない。

知事がやろうとした政策に議会が反対して不信任決議になった訳では無い。

逆に言えば、どれだけ素晴らしい政策を掲げて、

知事としては合格点であったとしても、

それ以前に、

自分に都合の良い判断で公益通報では無いと決めつけ、

犯人探しをやったという、

人としてやってはいけないことをやってしまい、

それに対して1ミリの反省も無いことが問題になっているのに。



ご自分は正しくて間違っていないんだから、

誰に恥じることなく立候補する、と思われているのだろうが、

亡くなった人のご家族にも同じ事を言えるのだろうか。



アメブロを読んでいると、

よく不倫して追及されると逆ギレする人が出てくる。

サイコパス、という言い方もよくされている。

斎藤知事を見ていると、

同じニオイがしてくるのだ。


こういう人がトップに立つと、

独裁者の様になってしまうのか。

ならその地位につけてはいけない人だった、ということか。



だが、出直し知事選挙で、

候補者が乱立すると票が割れて、

再選される可能性もある、という人もいる。


確かに知名度はあるし顔も売れている。

そして職員の事や亡くなった人なんて関係ない、

自分にとってプラスになる政策をしてくれるならそれでいい、という人も、

一定数いるだろう。

となると、当選ラインが下がれば、

再選される可能性もあるかもしれない。


だがそうなると、

またお得意の「県民の負託を頂いた」んだから、と、

更に独裁に走るかもしれない。

当然議会や県職員とは軋轢が生まれ、

県政は益々空転する。



まあそうなっても、

県民がそれを選択したのなら仕方ないけどね。


問われているのは、

斎藤知事の信任・不信任だけではなく、

兵庫県民の見識も問われているのだ。