残念ながら準決勝で敗れ、 

3位決定戦でも負けてしまったのだが、

背負ってきた物を思えば、 

良く頑張った、と言ってあげたい。


彼の父親、斉藤仁氏は、 

五輪で2大会連続の金メダリストだった。 

特に2度目のソウル五輪では、 

東京五輪から続いた日本の、 

金メダルが途切れる危機だった。


軽量級から始まり、

金メダルを逃し続けた、

柔道の起源たる日本にとって、 

最後の95キロ超級の斎藤氏は、

文字通り最後の砦だったのだ。


その重圧たるや、どれほどの物だったのか、と思う。


優勝した後、表彰式で、 

掲揚される日の丸を見ながら、 

滂沱の涙を流す斎藤氏のくしゃくしゃの顔を、

今でもハッキリ思い出せる。



その後、斎藤氏は、

代表監督、強化委員長を歴任するが、

2013年に肝内胆管がんが判明し、 

闘病しながら指導に当たるも、

2015年に54才の若さで亡くなった。

その時、次男の立選手はまだ中学1年だった。



父と同じ国士舘高校、国士舘大学へと進学した立選手は、

史上3番目の若さで全日本選手権優勝を遂げ、

日本柔道の期待の星、となった。


だが、DNAを受け継いでいる、とはいえ、 

ちゃんと指導を受けていた訳ではなかったろうから、

ここまでの実績も、 

五輪代表になれたのも、

彼の努力と実力だと思う。


それでも周囲は、「あの斉藤の息子」と見るし、 

それ故に期待もするだろう。

それが22才の若者にとって、 

重圧にならない訳が無い。

彼はそのプレッシャーとも闘わなければならなかったのだ。



またプレッシャーをかける積りは無いけれど、

まだまだ伸び代があるはず。

お父さんが五輪で初優勝したのは23才の時。

2度目が27才。

次のロス五輪まで、 

もっともっと強くなって、 

お父さんに良い報告ができるようになっていればいいな、と思う。



斉藤立選手、お疲れ様でした。

捲土重来、次を楽しみにしています。