先日、お隣から筍を頂いて、

連日食べさせて貰っているのだが、

この季節になると毎年思い出す事がある。


11年前に亡くなった義父は、

何でもたくさん食べる人だったが、

とりわけ筍が大好物で、

他の料理は、例えば昼に出して残った物を夜出しても、

昼食べたからいらない、と言って食べないのに、

筍だけは3食でもいい、と常々言う程大好きだった。


その年、脳梗塞の後遺症で、

脳血管性認知症だったこともあって、

1月早々に、もう筍出てるか?と聞かれた。

いやお義父さん、

流石にまだ無いですよ、と笑い話になった。



3月になって、

そろそろ小ぶりの筍がスーパーの店頭に並び出した。


だが当時、義両親の浪費の借金を毎月返していた上に、

退去したコンビニに2000万近い保証金を返却せねばならなくなってしまった。


私の独身時代の貯金や、

18年貯めた子供の学資保険も含めて、

洗い浚い供出して払ったが(全く貯金の無い両親は1円も出さず😰)

そのコンビニの家賃が入ってこなくなって、

銀行への返済も、

その家賃分、毎月足りなくなっていた。


リーマンショックの後で、

次の借り主もなかなか決まらず、

結局1年半、

毎月ダンナの手取り給料+αを補填しなければならなかった。


どうやって生活していたか、と言うと、

当時ダンナは2度目のアメリカで、

自分の生活分は向こうの給料でできたので、

両親の年金で息子と4人、暮らしていた。


と言っても義母は専業主婦だったし、

義父も厚生年金に入っていたのは10年余りだったので、

2人合わせてもたかがしれている。

そんな生活だったので、

一本1000円近くもする小さな筍は、

とても買えなかった。

小さくても茹でるとなると2時間とかかかるし、

光熱費もバカにならないしね。


義父の筍好きは割と知られていて、

シーズンになればあちこちから頂くので、

もうちょっと待って🙏と心の中で言っていた。



ところが、である。



3月25日の未明に、

義父が誤嚥性肺炎による心不全で救急搬送される。


その日の夜までもつか、と言われる重態だったが、

何とかアメリカにいるダンナが帰国するまでの時間を、と、

できることはみんなやって貰った結果、

何とか一命はとりとめた。


人工呼吸器が外れ、

ICUから一般病棟に移り、

話ができるまでに回復したが、

経口で物が食べられない。 


また誤嚥してしまうし、

1月以上食べていないので、

まず嚥下訓練から始めないと無理だ、と言われた。

だが当時、経鼻経管栄養で絆いでいたので、

このチューブが取れないと嚥下訓練ができない。


義父はかねてから嫌がっていたが、

胃瘻をして嚥下訓練をするか、と、

悩んだ末に決断したのだが、

胃瘻手術予定の前日にまた発熱し、

結局そのまま亡くなってしまった。


その頃、家には売る程貰った筍があったので、

最後の一本は、

義父が食べられるようになった時の為に、

毎日水を変えて保存していた。


亡くなった後、

その筍を炊いて、

一番好きだった天ぷらにして、棺に入れた。



こんな事になるなら、あの時、

高いなんて言ってないで、

買って少しでも食べさせてあげれば良かった、と、

それだけは後悔した。



1番医者が儲かった時代に開業医をしていたのに、 

先祖伝来の土地をことごとく売りつくし、

それでも足りずに借金してまで浪費の限りを尽くした挙げ句

長男夫婦に丸投げして全く反省の無い、

とんでもない義父だったが、

妙に憎めないところのある人だった。



義父に対しては尻拭いも含めて、

やれるだけのことはやったし、

残した借金も死後8年かけて返済した。

だから思い残す事は何も無い。

ただ、あの筍だけが心残りだった。



以来、義母に対しては、

大好きな柿が店頭に出たら、

高かろうと買ってきて、

とにかく一度は食べさせている。


後で食べさせてあげとけば良かった、と思いたくないので。

ま、自己満足なんだけどね。