東野圭吾の、櫻井翔・広瀬すず主演で映画化もされた、

「ラプラスの魔女」の続編。

広瀬すずが演じた羽原円華が、

父親を殺された中学生、月沢陸真と共に、

その死の真相を探る物語。



小説そのものは面白くて一気に読んだが、

それとは別に、

なかなか怖い話が書かれてあった。



この小説の中で、警察は、

究極の個人情報と言われる、

DNA情報を含む、

ありとあらゆる個人情報を集めて、

データベース化しようとしている。

それだけではなく、

ゲノム・モンタージュなる物も出てくる。

これは実際に研究されているようで、

どの程度実用化されているのかは不明だが、

遺伝子情報からモンタージュを作るというもの。


それが可能であれば、

例えば犯罪現場に犯人のDNAが残っていれば、

モンタージュを作成し、

そこら中にある防犯カメラ映像から、

その人をAIが抽出できるらしい。


実際最近は、刑事ドラマ等でも、

歩容認証(歩き方の特徴で個人識別をする)なんてのは普通に出てくるし、

顔認証は、今やスマホのロックにも使われていたりする。



先日、連続企業爆破事件の指名手配犯、

桐島聡容疑者が、

末期ガンで入院中に、

最期は本名で死にたい、と名乗り出て、

確認できる前に亡くなったとニュースになった。


彼はこの事件が最初の犯罪であった為に、

DNAはおろか、指紋さえ残っておらず、

特定には親族とのDNA鑑定を待たねばならなくて、

間に合わなかったらしい。


家族構成等、本人しか知り得ない情報を知っていたし、

詐称する意味も分からないので、

間違いは無いだろうが、

ハッキリするまでは「桐島聡を名乗る男」という扱いになる。

まあ今更はっきりしたところで、

被疑者死亡で送検、不起訴、となるだけだが。


それにしても、半世紀近く、

戸籍も住民票も無くても、

普通に暮らしていけた事に驚く。

確かに、所謂日雇い、と言われる働き方で、

日給を受け取り、それを収入として役所に届けていなければ、

個人特定される事もなく、

生きていく事は可能だったのだろう。

住み込みであれば、

部屋を借りる為に必要な書類も要らない。

それでも偽名のまま、

どこの誰かも分からず死ぬのは嫌だったらしい。

家族にしても、生きているのか死んでいるのか分からないままよりは、

良かったかもしれない。



だが、この小説にある様なシステムが本当に実用化されたら、

検挙は早まるかもしれないし、

犯罪の抑止にもなるかもしれない。

それでも、国家に常に監視されているようで、

ザワザワするのは私だけだろうか。


医療現場が協力すれば、

個人のDNA情報を集めるのは、 

それ程大変ではないかもしれない。 

そして個人特定の為に必要な、

顔写真や本籍、住所等の情報は、

既にマイナンバーカード、という形で、

我々は国に提供しているのだ。

このデータベースの構築は、

予想よりも早いかもしれない。




この小説の終盤で、刑事同士の会話がある。


ゲノム・モンタージュの存在や、

国民全体のDNA型データベースが作られつつあることが、

公になれば大騒ぎになるでしょうね、と問うた刑事に対して、

その上司は、少しは反発するかもしれないが、

じきに慣れるんじゃないか、と言う。

そういう国民性だから、もあるが、

もっと大きな理由はメリットに気づくからだ、と。


子供が犯罪被害者になった時、

このシステムを使えば早い時期に犯人を特定できる、

重い病気にかかり、

治療方法が移植しかない時も、

このデータベースを検索する事で、

適合者を見つけ出せる、と。



確かにこのシステムができれば、

今、骨髄バンクに登録した、

限られた人の中から探さなければならないドナーの、

母数は飛躍的に上がる。

それだけ救命できる患者も増えるだろう。


とはいえ、今までは個人の意志と善意で行われてきた骨髄提供が、

義務になりはしないか、という空恐ろしさも感じる。


AIもそうだし、

巷に溢れるフェイクニュースもそうだが、

科学の進歩は、必ずしも幸せをもたらさない、と、

思う事が増えてきた。



能登地震を受けて、

来年開催予定の大阪万博をどうするか、で、

様々な意見が出ているが、

「人類の進歩と調和」をテーマに、

未来を無邪気に信じられた、

70年万博を懐かしくも思う。


あれから半世紀余りが過ぎ、

進歩した事は多い。

とりわけ医療や工業分野では著しい。

だが、それに見合うだけ、

果たして私達は幸せになっているのか。



改めて色んな事を考えさせてくれた一冊だった。