当事者としては、

そんなに経ったとは思えない。

今でもあの瞬間を、

あの揺れを、あの街を、

昨日の事の様に思い出せる。


だが震災後に生まれた人がどんどん増える。

生まれてはいても、

当時2歳半だった息子などは、

全く何の記憶も無いだろう。

そう考えれば、

少しでも覚えてるのは、35才以上の人か。

その年齢は年々上がっていき、

体験した人は年々減っていく。


この29年の間にも、

東北大震災や熊本地震、

元旦の能登地震を始め、

各地で揺れ続いている。


日本は間違いなく地震大国で、

大きな被害がある度に対策は練られてきたのだろうが、

それでも家屋の倒壊や土砂崩れは無くならない。

自然の強大な力に対して、

我々は余りにも無力だ。


だからといって手をこまねいている訳にもいかない。

できる事を見つけて、

少しずつでも、という事なのだろう。



とりあえず起きた事、経験した事を、

語り継いで行く努力は必要だと思う。

何事も無かったように復興した神戸の街だが、

人々の心の傷はいまだ癒えてはいないだろうし、

時間薬も万能では無い。



それでも···



生き残った私達は、

生きることが叶わなかった人達の分も、

ちゃんと生きていく責任と、

起きた事を伝えていく義務があると思う。


そして、阪神・淡路大震災の時は災害関連死に数えられなかった、

追い詰められて自死を選ぶ人を、

一人でも少なくする為に、

できる支援を、的確に迅速に、

やって欲しいと思う。



一向に先の見えない能登地震の被災者の皆さん。

神戸がそうであったように、

時間はかかっても必ず復興できます。

そして私達の気持ちは、

ずっと寄り添っています。

来年の阪神・淡路30年には、

能登も随分復興したね、と、

言える様になると信じています。

共に頑張りましょう。