22日に奈良の下北山村で起きた、
大規模な土砂崩れに巻き込まれて、
行方不明と思われていた和歌山在住の70代の男性の車の1部が見つかった。
事故の後、現場から煙が出ていたので、
火災が起きていたらしい。
この事故では、50代の男性が救助されていて、
その人の、前にも車がいた、という証言を元に、
捜査を続けていたのだが、
残念ながら、奇禍に遭われていたらしい。
その2台の車の差は、
ほんの数秒だったろう。
だがその僅かな差が、
運命を分け、生死を分ける。
一方、26日に起きた杉並の、
整備工場からバックで出てきた外車に、
母子2人が、轢かれて死亡した事件。
この時、家族4人で歩いていて、
前にいた母親と小学校1年の女の子は、
後ろにいた父親ともう1人の女の子の目の前で、
突然命を奪われた。
暴走の原因はまだ分からないが、
後ろを歩く2人に被害が無かったのだから、
そこの差も恐らくホンの数秒。
現場に差し掛かるのが、
後3秒も遅ければ、
目の前を車が暴走してビックリした!で済んだはずなのだ。
運命の悪戯、で片付けるには、
余りにも残酷な現実。
でも決定的な悲劇になるかならないか、は、
紙一重の差でしかない。
ではその差はどこから来るのか。
勿論答えなど無い事は分かっているのだが、
最近身近な人の死や病気が続いて、
改めて考えてしまっている。
だがこの2件の事故は、
防げた事故だったはずだ。
奈良の現場は最初の土砂崩れの後、
応急処置をして片側通行にしていた。
それで大丈夫だ、という判断が、
甘かったのではなかったか。
普段、いつも思う訳ではないが、
一瞬後に何が起きるのかは、
誰にも分からないのだ。
漠然とそんな事は起きない、と思い込んでいるだけで、
何の根拠も無い事に気づく。
だからこそ、今日を、今を、
大切に生きないといけないのだ、という、
当たり前の結論に落ち着くのだけれど。
亡くなられた方やその周りの方達にとっては、
到底そんな風には思えないだろう···な。
心から御冥福をお祈り致します。