東近江市の小椋正清市長の、

フリースクールに関する発言が物議を醸している。


曰く、

フリースクールについて、

「国家の根幹を崩しかねない」

「文科省がフリースクールの存在を認めてしまったことに愕然としている」


挙句の果てに、

「不登校になる大半の責任は親にある」



話にならない。



不登校になる大半の責任は、

学校側にある。

殆どがイジメに起因していて、

適切に対応できない学校側が、

助長してしまっている。


滋賀県といえば、

2011年に、大津市で中2の生徒が、

イジメが原因で自殺した。

それに対して学校や教育委員会が、

隠蔽した挙句に、

原因はイジメではなく家庭環境の問題、と説明。

その後イジメの実態が明らかになり、

イジメの事実と、

それを認識していた事を認めたが、

当初は加害者にも人権がある、とか訳の分からない理由で、

大した調査もせず、

家庭環境の問題で自殺した、と結論づけようとした。



この事件がきっかけで、

いじめ防止対策推進法ができている。


勿論こんな法律一つで解決できる程、

イジメ問題は簡単ではない。

だが、地元で起きたこの事件への反省が、

小椋市長には全く無いのだ、と思わざるを得ない。



死にたくなる位辛いのなら、

学校なんて行かなくてもいい、と、

親の立場では思う。

だが学校に行けなくなった時、

ただ家に引き籠もってしまえば、

社会との繋がりが断たれ、

復帰は益々困難になる。


その受け皿になっているのがフリースクールではないのか?

そこで人と接することで、

傷ついた心を癒やすことができて、

学校や社会に戻っていける子もいる。

というより、それを目標に、

設立されているのだと思うが。



確かに小椋市長が言うように、

フリースクールの制度設計が、

キチンとできていない現実は、

問題には違いない。


だが、制度設計ができるのを待っている余裕など無い。

昨年度は、小中学校の不登校数が、

過去最高になっているのだ。


目の前で溺れている人がいるのに、

救助する制度設計ができてないので、

助けられないんです、と、言っているのに等しい。

無責任極まりない。



その上小椋市長は、

フリースクールは楽だから、

学校から逃げているだけだ、と言ったが、

それは違う。

学校へ行きたくても行けないが、

何とか行けるようになりたい、と思うから、

リハビリの意味合いで通っている子が大半だろう。

言ってみれば、学校が楽しく通えない場所になっている事こそが問題なのに。


とはいえ、そのフリースクールに、

公的な補助はまだまだ少なく、

必然的にかかる費用は大きい。

言い換えれば、経済的余裕がある家庭の子しか通えない訳だ。

不登校の対処にも経済格差が生まれてしまう。

そちらの方が問題だろう。


フリースクールが国家の根幹を崩すのではなく、

不登校の子供達を学校に戻す手立てを、

フリースクールに頼らざるを得ない現状が、

国家の根幹を揺るがしているのだ。

そして、不登校を家庭の問題にすり替える、

小椋市長の様な人や考え方こそが、

国家の根幹を崩している事を、

恐らくこの人は全く分かっていないのだろう。 


ただでさえ人口減少が避けられず、

今後、益々労働力の不足が予想される日本で、

引き籠もる人を減らす事こそ、

国家の存続にとって重要なのに。



自分の発言に対して、

撤回と謝罪を求められて、

信念をもって発言しているので撤回はしない、 

謝罪する必要が何であるの!と

逆ギレしていたが、

騒ぎが大きくなって、

私の配慮の足りないワンフレーズで保護者や運営している方を傷つけたことに対しては深く反省して謝罪したい」と述べた。

それでも発言内容については、

「謝罪はしていない」し、

「撤回もしない」のだそうだ。


フリースクールについての制度設計ができていない事への、

国への問題提起だった、と話をすり替えようとしているが、

義務教育を受けさせるのは親の義務なのだから、

不登校は親の責任、と言った当初の発言が、

この人の本音の全てだろう。


国がフリースクールへの支援を、と言ってきた事に対して、

親の怠慢で不登校になった子の支援を、

なんで自治体がしないといけないのか、と思っているのがハッキリ分かる発言だった。




私は小1の時、

転校直後に、

当時アレルギーでタマゴを食べられない事を、

母がちゃんと伝えたにも拘らず、

好き嫌い、と勝手に思い込んだ、

定年間近の担任の対応で、

イジメの標的にされた。


産まれてからずっと、

完全除去食だった卵を使った給食を、

食べないと帰してくれない。

当時1年生は食べたら下校だったので、

帰宅途中で気持ち悪くなって、

徒歩5分の家まで何とか辿り着いたものの、

トイレまでもたずに、庭先で嘔吐し、

その後寝込んだ。



そういう事が2度ほどあって、

事情を知った母が激怒して、

医師から診断書を貰って学校に乗り込んだ。

アナフィラキシーで亡くなる子供が出てしまってから、

世間のアレルギーに対する認知が進んだが、

当時は教師でも無知だった。

今なら大問題になっていただろう。



以降食べずには済むようになったが、

好き嫌いはダメだから食べなさい、と、無理やり食べさせていた担任が、

キチンと説明もせず認めた事で、

周りの男の子に、何でこいつだけ食べなくていいんだ、とイジメられた。


転校したてで友達もいないから、

助けてくれる子も無く、

毎日学校へ行くのが嫌で嫌で、

泣いて暮らしていた。

不登校にならなかったのは、

単に行かない、という選択肢を思いつかなかっただけにすぎない。

今なら確実に不登校になっていた。


それで不登校になっていたら親の責任か?



イジメられる側だった経験から、

私は不登校になる原因は、 

大半が学校の対応にあると思っている。



実は孫も、一時不登校気味だった事があった。

孫は体が小さく繊細なところがあって、

クラスに体が大きくて乱暴な子がいて、

行くのが怖くなってしまったらしい。


学校へ行くのは怖いけど、

学童なら怖い子がいないので行ける、という状態で、

せめて家から出よう、と、

行かせようとしたら、

当初、学童は学校へ行っている子の為にあるのだから、

学童だけは駄目だ、と言われたらしい。


親が学校や教育委員会と話し合いをして、

学童だけでもいいよ、となり、

暫く下校時間から学童だけ行く生活をしていた。


そのうちに慣れてきて、

保健室登校から始まり、

クラス替えもあって、

今は普通に登校している。


もしあの時、学童通所を認めて貰えず、

ずっと家に引き籠もっていたら、

今も外に出られずに不登校が続いていたのではないかと思う。


つまり、孫にとっての学童の役割を担っているのが、

フリースクールなのだ。

フリースクールを卒業して、

学校に戻ったり働き始めた人が大勢いると聞く。



団塊の世代の少し下の、

70才過ぎた小椋市長は、

学校に行けないのは、

本人が弱くて親が甘やかしているから、と思っているのだろう。


こういう人に限って、

自分達の頃は、とか言い出す。

生きる事は競争なんだから、

負ける方が悪い、という訳だ。

そして市長にまでなった自分は勝ち組なんだろう。


その傲慢さが、

傷ついた人に寄り添うことをせず、

追い打ちをかける発言に繋がる。


本人に自覚は無いのだろうが、

そして無いから撤回も謝罪もしない、と言い放てるのだろうが、

そんな人に首長たる資格は無い。

「そういう人」がトップにいるから、

「そういう対応」になるのではないのか。

今すぐ政治家を辞めて欲しい。


小椋市長の考え方は、

頑張っている現場や当事者にとって、

マイナスにしかならない。

私が東近江市民なら、

リコール運動するんだけど。



それにしてもこの市長、
正しく清い、って、
完全に名前負けしてるね。
親はそういう人になって欲しくてつけたんだろうけど、
名は体を表さない好例だわ。