ここ数年、この日はとりわけ「あの日」を思い出す。


地震で潰れた家をじかに見てたから

今住むこの家の諸々も気になっていた。

江戸時代に建った、耐震性の全く無い古い家は、

15年前にツーバイフォーに建て替えた。


だがうちは門蔵になっていて、

道路に面して重い瓦が乗っていたし、

家の裏も道に面して石垣の上にブロック塀が乗っていた。

あのクラスの地震がもしここに来て、

その時人が通っていたら、

大怪我、下手したら死ぬ人が出るかもしれない。

それはずっと懸案事項だった。

特に先年、北大阪で起きた地震で、

高槻の小学生や、

この近くでもブロック塀の下敷きになって亡くなった人が出て、

現実味を帯びていた。



2年前に瓦は軽い瓦に変え、

大きくて重い鬼瓦は下ろし、

瓦1枚1枚を釘で止めて落ちないようにして貰った。

そして残るブロック塀は、

去年9月に基礎になる下2段を残して、

その上は撤去して風の通るフェンスに変えた。


これでもう、いつ南海トラフが来ても、

うちの回りで犠牲者が出ることは無い、と思うと、

本当にホッとした。

あの地震を体験した者の1人として、

やっとリスクを減らす為の責任を果たせた、と思った。



天災は忘れた頃にやってくる、という言葉がある。


実際には忘れる程間隔が空いている訳ではない。

地震国、日本では、

しょっちゅうどこかで地震が起きるし、

台風等の暴風雨被害や水害も起きている。

それでも身近で大きな被害が無いと、

つい忘れがちになってしまうのも事実だ。


でもあの日、未来を断たれた人達の事を、

そして2011.3.11に未来を断たれた人達の事も、

決して忘れずに、

少しでも被害を小さくするにはどうしたらいいのか、

模作し続けなければならない。


そして震災を知らない人が増えていく今、

語り継いでいく事も、

生き残った者の責任だと思う。



犠牲を繰り返さない為に。