感動的な場面は沢山あったが、

5種目に出場し、4つのメダル、

そして疲労も蓄積しているであろう、

最後の1000メートルで、五輪新で金、の、

高木美帆選手は、本当に凄かった。


外国勢の活躍を見ていた彼女が、

デビットコーチにかけられた、

「同じ人間ができていることなんだから、

なんで自分もできると思えないの?」という言葉が、

今も心に響いている、と語っていた。


体格や筋力で、一般的には外国人に劣る日本人は、

だから同じことはできない、と考えがちだ。

だがこの言葉を大事にして努力を続けて、

そうではない事を、高木選手は体現して見せた。


そしてそれは、外国人対日本人、や、

スポーツに関してだけの話ではない。



我々は、とかく自分と他者を比べがちだ。

比べて自分に無いものを数え上げる。


お金が無い。

環境が悪い。

時間も無い。

協力して貰えない。


そして、

だからできない、

だから無理、

だから幸せになれない、

と言い訳にしてしまう。


だが本当にそうだろうか?

それはやらない、

やろうとしない事への言い訳であって、

できない理由では無いのでは?


デビットコーチの言葉は、

それを気づかせてくれる。

限定してしまっているのは、

自分自身なのだと。



カーリング女子の銀メダルも素晴らしかった。


1度は予選敗退を覚悟した彼女達の涙は、

歓喜の涙となり、その勢いで、

予選最終戦で負けたスイスに、準決勝で勝った。

決勝は残念だったが、

前回、平昌五輪のメダリストで、

今回も表彰台に上がったのは日本だけだ。

それだけ実力が伯仲していて、

どの国が勝ってもおかしくない状況になっているということだ。

きっと4年後も、

ドキドキハラハラする試合を見せてくれる事だろう。



だが、ワリエワのドーピンク問題や、

スキージャンプのスーツ規定違反等、

スポーツに纏わりつく闇は深い。


ワリエアの関しては、

「絶望」とあだ名がつく程強くても、

まだ15才の少女には受け止めきれなかったのだろう。

保護が必要な15才だから出場は認めるが、

結果に関してはドーピング問題の結論が出るまで保留、

なんていう中途半端なやり方は、

結局彼女を追い詰めただけだったのではないか。


スノーボードでも、

スポンサー企業ではない、

プラダの名前の入ったボードの使用を認めない、なんていう、

行き過ぎたスポンサー至上主義を振りかざし、

棄権する選手まで出てしまい、

商業五輪の汚濁も晒した。


数々の名勝負の陰で闇もかいま見えて、

商業主義の光と陰が顕著に現れた五輪だったと思う。



だが、死力を尽くした選手達には関係ない話で、

その素晴らしいパフォーマンスには、

心から拍手を送りたいし、

ありがとう、と伝えたい。


と同時に、選手達が気持ちよく闘えるように、

その場を整える事が、

お金を集める事以上に、

大事なIOCの責務なのでは無いか。



2年後のパリまでには、

もう少し改善していて欲しい、と思う。

彼らは全てを賭けているのだから。