今日、池袋暴走死傷事故の裁判で、

被害者参加制度を使って、

妻子を奪われた松永氏が直接質問を行った。


松永氏自身が、公判前に、

この人はもう変わらないんだろうな、と思う、と言っていたけれど、

やはり事故原因は車の不具合であり、

自分に過失は無く無罪、という主張を繰り返した。


ここまでどうしようもない人間っているんだな、と呆れる。

亡くなった真菜さんと莉子ちゃんの、

名前の漢字さえ言えない。

結局関心があるのは自分の事だけで、

自分が殺した人には興味すら無い、という事なのだろう。



まあ考えてみれば、

不倫して傷つけた妻子に、

嘘八百並べて責任は妻にある、と開き直って責め、

更に傷つける人は後を断たない訳で、

直接命を奪ったか否か、という点で、

違いはあるが、

やっている事の根っこは一緒なのかもしれない。


大事なのは自分の欲望とプライドだけ。

その為に他人を踏みにじっても全く意に介さない。

被害者の心情など、想像する気も無い。



今日、どこかの番組で、

コメンテーターの弁護士が、

無罪を主張する場合、

弁護士も無罪と信じて弁護する場合と、

依頼人の主張に合わせている場合があり、

恐らくこの事件は後者でしょうね、と言っていた。


本当に車の不具合が原因だと主張するなら、

それに沿った車の不具合の可能性を証言する証人を呼ぶはずだが、

今回、一人もいないので、と。



公判の後、トヨタが、

車両に異常や技術的な問題は認められなかった、という、

異例の声明を出したのは、

余程腹に据えかねたのだろう。


まあ判決で事故原因が車に無かった、と認定されたら、

トヨタは損害賠償請求をするかな。

した方がいいと思う。

でないと、こんな風に自分の過失を車のせいにするイカれた輩が、

続出しかねない。



次回公判では、松永氏は心情を述べ、

論告求刑が行われて結審するらしい。

とにかくも1日も早く判決を出して、

控訴されても上告されても、

最短で棄却して、

判決を確定させて欲しい。

確定する前に死なれたら、

前科すらつかないのだから。


「上級国民」だか何だか知らないが、

これまでは自分がシロと言えば、

クロい物でもシロでまかり通ってきたのだろう。

だが、世の中の全てが自分の思い通りにはならないことを、

死ぬ前に思い知らせて欲しいと思う。

でないと、亡くなった松永母子や遺族、

今尚後遺症に苦しんでいる負傷者達が浮かばれない。



それにしてもこの飯塚被告の息子が、

全く表に出てこないのが、

この親にしてその子あり、だと思う。


基本的には私は、

親のしたことの責を子が負う事はない、という考え方だが、

この事件は違う。


医師から運転を止められていて、

足が悪い90近い父親の、

運転を止めさせられなかったのは、

完全に家族の責任だ。


本人がどれ程抵抗しようと、

自分は大丈夫だ、と主張しようと、

この事故の前に何度もぶつけたりしていたそうなので、

その時点でハンドルを握る事の危険性は予見できたはずで、

それを見過ごし、

結果としてこれ程の重大事故を起こしてしまったのだから、

現実に適用は難しいだろうけど、

不作為犯として追及して欲しい位だ。



話が脱線した。



飯塚被告の様な人間は論外だが、

高齢になってハンドルを握り続ける危険性を、

心ある高齢者はよく考えて、

こういう事故が2度と起きないように、

車を手放す決断を、

勇気をもってして欲しい、と思う。


かく言う私も、

幾つまで乗れるかな、と最近考える。

介護には車が無いと辛いのだが、

義母に100まで生きられると私も70になるからね。


長年乗っているので70ならまだ大丈夫かな、と思うけど、

個人差もあるから判断が難しい。


やはり若い時より動体視力は、

多分落ちているし、

反射神経も鈍っていると思う。

まあ反射神経は元々あんまり無かったけど。


危ないな、と自覚した時点で、

運転は止めようと思っているけれど、

その判断時期を誤ってはいけない、と、

この事件を見てつくづく実感している。