袴田事件をご存知だろうか。
事件が起こったのは1966年。
もう半世紀以上前だ。
静岡県清水市で、
味噌会社の専務宅で、
別棟で寝ていた長女以外の一家4人が、
殺されて放火される事件が起きた。
8月になって、
その会社の従業員だった元ボクサーの、
袴田巖氏が逮捕されたが、犯行を否認、
だが拷問とも言える取り調べの末、
勾留期限直前に自白し、起訴された。
起訴後は一転して犯行を否認するが、
一審で死刑判決、
高裁も最高裁も上訴を棄却した。
その後、再審請求をするも、
第一次再審請求は2008年に最高裁で棄却。
弁護団は翌月には第二次再審請求をし、
2014年に静岡地裁で再審請求が認められたが、
2018年に東京高裁が地裁の決定を取り消し、
再審請求を棄却した。
そして更なる抗告の結果、
今日、最高裁で高裁の決定を取り消し、
審理を高裁に差し戻した訳だ。
今回、最高裁の5人の判事のうち2人は、
高裁の決定を取り消し、
差し戻すのではなく、最高裁自ら再審開始決定をすべきだ、という反対意見を述べたらしい。
事件発生からの時間経過、
袴田氏の年齢を考えれば、
当然そうすべきだと思うが、
何故残りの3人の判事は単に差し戻そうとしてしまったのか。
高裁の判断には合理的な疑いがあるから、
弁護側の特別抗告を棄却できなかったのだろうに。
この事件が起きた頃は、
冤罪が多発した時代でもある。
その後再審で無罪が確定した事件もかなりある。
その冤罪を多数生んだとされる、
紅林警部とその一派が、
拷問や自白強要、
挙句の果てに証拠捏造まで、
派手にやっていたらしい。
この事件の詳細については、
ウィキペディアでも見て頂く方が早いが、
かなり無理な証拠捏造が窺えるのだ。
そもそも検察官は、全ての証拠を裁判に出す必要は無く、
自分達の作り上げたストーリーに沿った物だけしか提出しない。
被告有利の証拠は隠蔽しても、
何ら罪を問われる事も無い。
今は証拠開示請求もできるようになったが、
それでも開示を強制する力は無いのだ。
日本のこういう司法制度が、
冤罪を蔓延らせてきたと言える。
今は取り調べの見える化が提唱されるようになり、
昔よりは冤罪の可能性は少しは減ったと思う。
だが検察が証拠の選別をできる状況は依然続いていて、
ここを根本的に改めないと、
冤罪は無くならないだろう。
冤罪は2つの大罪を含んでいる。
1つは当然、冤罪の被害者とその家族の人生を破壊してしまう事。
そしてもう1つは、その為に真犯人を野放しにし、
事件の被害者の無念を晴らせなくなる事。
今は殺人には時効が無くなったが、
10年前までは時効が存在し、
間違った人を訴追し刑が確定することで、
その後の捜査は行われず、
事件の真相は永遠に闇の中、になってしまう。
だからそれだけ冤罪を起こさぬように、
司法関係者はより慎重になるべきだ、と思うのだが、
メンツばかりを重要視しているように思えてならない。
6年前に週刊現代が、
当時の警察や検察の捜査関係者、
裁判に関わった判事全員の実名を公表した。
静岡地裁の死刑判決時に、
無罪を確信し、主張したにも関わらず、
他の2判事との多数決に負けて、
不本意ながら判決文を書いた熊本、という判事は、
自責の念に耐えかねて判事の職を辞したが、
それ以外の全員が、
揃って出世し、中には叙勲した者までいるという。
確かに、もしこの一連の裁判のどこかで、
冤罪だった、という決定がされていれば、
彼らの出世も叙勲も無かっただろう。
だから現実を見ようとせず、
冤罪を頑なに否定し続けてきたのか。
実際、無罪を確信して判事を辞めた熊本氏でさえ、
その事実を述べ、袴田氏の姉に謝罪し、
再審請求支援を表明したのは、
有罪を主張した他の2人の判事の死亡後だったらしい。
本当に、司法って何なんだろう、と思う。
正義、ってどこにあるんだろう、と思う。
警察や検察、裁判所が、
そういう下らないメンツや、
自分の地位保全を図り続ける限り、
冤罪は無くならない。
大阪地検がやらかした、
厚労省の村木厚子局長(当時)の冤罪事件なんて、
認めなければ罪が重くなる、と迫り、
証拠を捏造してまで、有罪にしようとした。
たまたま彼女は人望があったので、
部下などが皆が真実を述べた結果、
検察の筋書きがことごとく否定され、
冤罪が晴れただけでなく、
検察の不正も暴かれて、
冤罪を着せようとした検事が逆に罪に問われる結果になったが、
なかなかそうはいかない。
司法に携わる人は、
自分達の職責とすべきことを、
もう一度よく考えて欲しい。
そして今回差し戻された高裁は、
そろそろ事実を認めて、
1日も早く再審開始の決定をして欲しいと思う。