広島原爆投下から71年
私の父は72才
4人兄弟の3番目
戦争によって家・土地を奪われ、農家の方の納屋で暮らし、
川から流れてくるカタチの悪いジャガイモを拾いあつめ、魚を素手つかまえ、麦が大半のご飯を食べ、1日1食の生活だったと言います
お腹がすいた時は、とにかく水を飲み腹を膨らませる
中学を卒業後、家族を支えるために大阪から上京
神奈川県の工場で働き、寮生活をしていたため、お給料はほぼ全額、親へ送っていたと言います
父は夕飯時に、こういった幼少期の話を語り聞かせてくれました
たった一度だけ、ぽっと
「家を奪われなかったら、どんな人生になってたかな。お母さんとも会うこともなかったなきっと」と、
笑いながら母を見つめ、私たち娘・息子の顔を交互に見る父の顔が忘れられません
病気ひとつせず、元気でいてくれる両親
私たち兄妹は
父の苦労話から少しだけ戦争の話に触れる機会がありました
ほんの少しだけ
父の働きぶり、背中から、狂わされた人生をなんとか自分の手で掴み直し、城を築く
子供の目には、執念を含んだものに映り
"戦争は狂わすんだ"と思ったものです
8月6日の今日
黙とうを捧げさせていただきます