「外套」(1952年作品)感想 | 深層昭和帯

深層昭和帯

映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

アルベルト・ラトゥアーダ監督によるイタリアの文芸映画。出演はレナート・ラシェル、イヴォンヌ・サンソン、ジュリオ・スティヴァル。

 

 

<あらすじ>

 

書記官として働くカーマインは、質素な生活を心がけていた。社会は腐敗していて、彼のような真面目な男は割を食うばかり。倹約家でありながら、彼は新しい外套を買うこともできず、擦り切れて裏が透けて見えるような衣服しかもっていなかった。

 

あるとき彼は、美しい女性に敬意を払う。すると彼女は、カーマインを乞食と間違えて紙幣を渡してきた。これを屈辱と受け取った彼は、なけなしの金をはたいて毛皮の襟のついた立派な外套をオーダーした。完成した外套はたいそう立派なもので、彼はそれを着てあちこち歩きまわった。

 

パーティーで同僚に笑われながらスピーチを披露した彼はそれでもご満悦であったが、突然浮浪者に襲撃されて大事な外套を奪われてしまう。警察に訴え出るも、警察はカーマインと険悪だった視聴の顔色をうかがうばかり。意気消沈した彼は、神経衰弱になってそのまま死んでしまった。

 

幽霊になったカーマインは、人を脅し、市長に復讐する。

 

<雑感>

 

ニコライ・ゴーゴリの「外套」は好きな短編小説のひとつで、ロシア文学を読むきっかけになった作品。だがこの映画はあまりにもイメージとかけ離れすぎてはいないか。まずイタリア人がやかましすぎる。

 

主人公の名前が変わっているのはどうでもいいことだが、主人公はもっと内省的で、自分を大切にしている。お金がないので倹約していたが、プライドを傷つけられるほど自分がみすぼらしかったと認めると奮発して金を使う。

 

内省して、次の行動を決めている。だからこそ、死後に幽霊になったところが生きてくる。彼は死に際して、この世の不条理に怒り、自分に関係のあったところだけ的確に復讐しているのだ。

 

☆3.0。イタリア語だと、感情に任せて適当に行動しているように見えてしまう。