原作:諫山創、監督:林祐一郎、キャラクターデザイン:岸友洋、制作:MAPPA。
エピソード4 - 完結編(後編)4
エレン・イェーガーは死んだ。彼が何度も何度も繰り返し自分の願いを問うてきたことは、皆の記憶に蘇った。ミカサは静かな場所にエレンの首を持ち去り、弔うつもりでいた。
そのころ、マーレ人は、エルディア人の生き残りに銃を向けていた。すでにこの世から巨人の力は消え去り、脅威はなくなっていたが、差別は残っていた。アルミンはマーレ人に対して反駁し、自分たちがすでに巨人の力を有していないことを証明した。
3年が経過した。人類は8割を失っていたが、マーレ人やその他の生き残りはなおも政治勢力を保ち、再びエルディア人を圧迫し始めた。エルディア人は、パラディ島に押し込められた。エレンが最後までやり遂げなかったことで、人類が抱える問題は解決されなかった。
第104期のメンバーは、和平交渉のメンバーとして船に乗り込んでいた。エレン派の目論見を阻止してしまった彼らが和平交渉を行うことに、彼ら自身が不安を抱いていた。
世界は、何ひとつ変わらなかった。
<雑感>
おいおい何も変わってねーじゃねーか。エレンの決意は何だったんだ? 敵を駆逐して仲間を救うことじゃなかったのか? なんだこの救いのない世界は?
どこがどう変更されたのかわからないまま適当に感想を書くが、この漫画は思想的、あるいは道徳的な正しさを求めて描かれているわけではなく、より「強く執着した者の願いが叶う」という現実を描いていた。
何が正しいかという理想はこの漫画にはなくて、執着する力が現実を変える「力」そのものがテーマだと思ってずっと観てきた。
漫画とアニメのどこが違うのか比較していないのでわからないのだが、エレンの願いが叶う世界線と、第104期生の願いが叶う世界線が違いだとしたら、よりエレンの執着心が強かったか、第104期生の執着心が強かったかで結末は180度違ってもおかしくない。
「強く執着した者の願いが叶う」ことが描かれているのだから、どちらの執着が強かったかで結末は簡単に変わるのだ。そしてテーマは変わっていない。漫画版の結末が、エレンの願いがすべて叶い、エルディア人を差別する人間が駆逐された世界線になっていることを願う。
想像だけであれこれ書くのは限界があるけれども、漫画版のラストに賛否両論あったというのは、下手な道徳を持ち込んでエレンのやったことが批判されたんじゃないのか? だけども、劇中すべての状況を把握して動いていたのはジークとエレンだけ。ジークのエルディア人安楽死計画と、エレンの人類皆殺し戦略のどちらかが勝つ展開じゃないと収まりが悪くないか?
104期生の願いが叶っても、何も変わらないことをシミュレーションしたからこそ、エレンは104期生と決別して孤独の道を進んだのに、104期生が勝って世界はそのままでしたではおかしいと思うぞ。やっぱり批判された漫画版の結末って、エレンが執着を成就させた結末だったんじゃないの?