「十二国記」原作:小野不由美、アニメ制作:ぴえろ。第41話~45話・最終回のあらすじと感想。
第41話「東の海神 西の滄海」第1章
雁州国王尚隆の治世が始まって間もない頃、元州に内乱の気配があった。先王の暴虐からやっと復興しつつあった雁州国にあってそれは許されるものではなかった。そんな折、更夜という少年が延麒である六太を誘拐する事件が起こった。元州侯元魁の息子斡由(あつゆ)は領内の治水工事の許可を再三尚隆に求めていたが無視され、延麒に直接訴えることにしたのだ。
第42話「東の海神 西の滄海」第2章
雁州国先王梟王は悪政を敷き、多くの民を苦しめていた。元州候元魁は腑抜けで梟王の意のままに州民を苦しめたことからその息子斡由(あつゆ)は父を放逐して自分が元州を治める道を選んだ。彼は梟王が麒麟に選ばれたことをもって天帝の存在を疑っていたのだった。彼は王の上に上帝を置くことを望んでいた。その勅使を玄英宮に送ったものの尚隆はその要求を拒否し、勅使を殺さず送り返した。六太とともに捕らえられていた州候監督官の驪媚(りび)は、一方が切れると一方が締まるという赤索縄を切り落とし、自らの命と引き換えに六太を逃がした。
小松三郎尚隆、う~んこれは戦国武将www
第43話「東の海神 西の滄海」第3章
天意を疑い、上帝の設置を望んだ斡由は、多くの州候が賛同し、与してくれるものと見込んでいた。ところが元州の乱が知れ渡ると広く民衆のみならず州候の多くも玄英宮に参じ、斡由は徐々に孤立していった。尚隆は身分を隠して一兵として元州城に潜り込むと、警邏しながら六太を捜した。尚隆の采配によって元州城の対岸に堤が作られると、斡由は禁軍による水攻めを心配し、近隣から兵糧を徴税せよと命じた。六太は女官によって逃がされ、地下牢を歩いた。そこには州候元魁が捕らえられていた。話を聞くと、斡由は自称するほどの男ではなく、権力欲にまみれた小物であった。
第44話「東の海神 西の滄海」終章
尚隆は洞窟の中で六太を見つけた。宰輔の無事は確認されたが雁州国は広く雨となり、元州の河の反乱が心配されたが、堤が出来たこともあり少雨での氾濫は杞憂になるかと思われた。ところが水攻めを怖れる斡由は堤を切らせようとした。この堤は尚隆が斡由を試すために築かせたものだった。噂を聞いた元州の民は離散し、堤を守ろうとする者は州兵と戦う事態となった。尚隆に事の次第を問い詰められた斡由は保身のために強弁を試みるも最後は討たれ果てた。
第45話「東の海神 西の滄海」転章・最終回
総集編的な最終回。楽俊は慶東国の大学への編入が認められた。
ということで全45話視聴終了。良い物語であった。
良い点はやはり人間がしっかりと描かれていること。中嶋陽子、大木鈴、祥瓊の3人は登場時はものすごく嫌な奴に描いてあってかなり腹が立つのだが、それを見事に成長させている。未熟な人間に、自分に劣っているところがあること、至らぬ人間であること、なぜ自分が他人を憎んだのかを気づかせ、後悔させ、逡巡の後に改心した様を描くのは難しいことであるし、読者にそれを納得する形で伝えるのはもっと難しい。それがしっかりできているのだから素晴らしい。
こうした中国っぽい小説が好きな女の子は多く、擬古文調で創作する人も多いけども、文章に苦心惨憺して人間を描く部分が疎かになる場合がある。どんなに読書しても人間観察するのは現代なのだから、描く人間をしっかり決めてからでないとこうしてうまく描写できないものだ。
楽俊などは比較的こうした東洋ファンタジーにありがちなキャラクターであるけども、姿が半妖であること、それに関わらず大事に育ててくれた母への感謝などを通じて筋の通った人物像になっている。
政治的な部分も、麒麟は民意の具現とハッキリ描いたことで、寓話的な物語に現代に通底する部分を出せた。麒麟と王は補完関係にあり、麒麟の言葉通り福祉政策ばかり進めても失道し、王の言葉通り覇を押し付けるだけでも失道する。こういうのは現代の政治でも一緒だ。
強さと優しさどちらもなければ大衆のための政治は出来ない。だから2大政党制のような仕組みも出来たのに、現代社会、というか西洋的近代主義は、他人の優しさに付け込んで暴力的に福祉政策を要求するところまで狂ってしまっているから、さしづめ麒麟が剣を用いて王を恫喝しながら優しさが何たるかを説いているようなものだな。そんな奴は麒麟を詐称しているにすぎない。
90年代まではこうした政治を含む「大きな物語」は創造されていたということだ。というより、あまりに世の中が個に傾きすぎて、こうしたものが好まれたのかもしれない。いまは個の「小さな物語」を、消費者に向けて生産する仕組みになってしまい、作家の出番などなくなった。
ラノベというのは、あまり難しくない平易な言葉で難しいこと、考えさせられるようなことを書いているうちは、いわゆるそれほど知的じゃない読者に知識を届ける役割を持つけども、印税欲しさにバカどもの要求通り文章を書いていると存在意義そのものを失い、存在意義がない作品を書く人間を先生と呼ぶのもバカらしいので、最後は出版社主導で何もかも決まるようになってしまう。だから権利も減るし、収入も減る。そんな仕事に優秀な人間は就かないから、出版社は本当の意味の作家を失って最後は自滅の道を辿る。
日本のそこらじゅうで自滅ごっこが盛んになっている。本当にバカらしい。この物語は、まだ日本に可能性が残っていた時代の創作である。
以下のリンクにあるものが「十二国記」の新刊であるようだ。