「機動戦士Ζガンダム」(1985年作品)第37話 感想(ダカールの日) | 深層昭和帯

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第37話は、ダカールの議会にクワトロが乗り込んで、人類と地球のあり方について演説をするZ屈指の名場面。後にレコンギスタで再度人類が地球を目指すまで、この演説が人々を縛りつけることになる。



地球環境を改善するために、すべての人類を宇宙に上げる。人間は地球から切り離された環境で資源を確保して生きることで、資源は無限に存在するわけではないと理解する。そしてニュータイプの共感力は、いずれ人間と人間の間にある断絶さえも乗り越えていくだろう。

人間がいなくなった地球は、長い年月をかけて砂漠化された大地を修復し、いずれは緑豊かな土地へと戻っていく。そうなってから、人間は再び地球に戻って生きればいい。このような趣旨だ。

オレはZガンダム以後の宇宙世紀の歴史に詳しくなくて、「逆襲のシャア」と「∀ガンダム」しか知らないから、人類が全員宇宙に出たのかどうかはわからないのだが、「∀ガンダム」のときには宇宙世紀時代のモビルスーツは発掘品になっており、神様扱いだった。

文明は20世紀初頭くらいのイメージだったかな。あの宇宙世紀末期の文明が、何をどう頑張ったのか、リギルド・センチュリーへの道を拓いて、スコード教支配の確立、宇宙からのエネルギー供給とその分配によって、地球資源にできるだけ手を付けずに文明を発達させる新世紀への道筋を定めた。

「ガンダム Gのレコンギスタ」に多く描写されていたように、地球の環境は概ね回復してきており、文明も21世紀もしくは22世紀程度まで戻った。そこに宇宙移民たちのムスタチオン問題が顕在化してきて、早急に地球への帰還が必要とされた。

宇宙移民が開始されておよそ100年で誕生したキャスバルとアルテイシアの兄妹、リギルド・センチュリーが始まっておよそ1000年で誕生したアイーダとベルリの姉弟、この対比だけではなく、宇宙移民を促すために地球人類の滅亡まで思いつめたシャア・アズナブルに対比されるのは、ラ・グーだったかもしれないと思い始めた。

結局このダカール演説が契機となって、クワトロ・バジーナはその正体を晒し、主に宇宙移民の希望の星とされて、その期待を一身に背負い込んでしまうことになる。Zガンダムでは、ティターンズ、ジオンの残党、シロッコを叩き潰すところまでだが、状況が終了してしまうとまた元の木阿弥となって、地球の人間は地球環境の回復になど興味を示さなくなり、宇宙移民の声は聞かなくなってしまった。そこで彼は、「逆襲のシャア」で描かれたような行動に出てしまう。

人類すべての宇宙移民を推進して、地球環境の回復を図る彼の主張に対して、最も責任を負った人物はやはりGレコに出てきたラ・グーだな。彼は自分の肉体がムスタチオンでボロボロになるまで、おそらく数世代に渡り、宇宙で役目を果たした。そして、アイーダに後事を託したわけだ。

やはり宇宙世紀初期とリギルド・センチュリー初期は関係がある。アイーダとベルリは、シャアとセイラだ。

Gレコの宇宙移民はシャアの主張に沿って宇宙で役割を果たし、遺伝子がボロボロになるまで働き、地球に還ろうとしている。一方、地球に残った人類は、またモビルスーツを作って戦争を始めてしまっている。シャアが主張したのと逆の、宇宙移民を地球に戻す仕事と、シャアの主張に沿った、地球の人間に自覚を促すふたつの行動に責任を負わされた運命を持つのがアイーダとベルリなわけだ。

あーこれ、もっとガンダムに詳しい人が解読すべき問題かもしれないが、他にいないみたいだし、細々とオレが解読していくか。