「ウルトラマン」(1966年作品)第25話 感想 | 深層昭和帯

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第25話「怪彗星ツイフォン」

監督:飯島敏宏、脚本:若槻文三、登場怪獣:レッドキング、ギガス、ドラコ



<あらすじ>

地球に彗星ツイフォンが迫って来ていた。ツイフォンは最悪地球に激突すると考えられていたが、詳しく計算し直したところ、5万㎞余り逸れることがわかった。しかしその引力と宇宙線の影響で地球上にある水爆が起爆してしまう恐れがあったため、安全対策を講じるように各国に指令が下った。

イデはオホーツク海で起きた旧型の水爆のうち6個が紛失した事件を思い出した。オホーツク海事件の後、日本アルプスで起きた放射能検出事件との関連を怪しんだ科特隊は、水爆紛失の経緯に怪獣が絡んでいることも視野に、イデが開発した水爆探知機を使用して怪獣の行方を追うことになった。

イデの水爆探知機は半径20㎞しか作動しないために、怪獣の姿を捉えることはできなかった。怪獣が深く潜り込んでいると考えたハヤタたちはビートルを着陸させて彗星の接近に備えた。

日本アルプスで一夜を明かしたハヤタたちは、雪化粧をまとった風景に生の喜びを感じた。しかしそれは怪獣も同じだった。山の向こうにギガスの姿を発見した3人は慌ててビートルに乗り込んだ。だがこの怪獣は水爆を飲み込んだ怪獣ではなかった。

さらにツイフォンからも巨大な空飛ぶ怪獣が地球に飛来した。空飛ぶ怪獣はハヤタたちの乗ったビートルの後を追いかけ、飛ぶ姿を真似たりしていた。ハヤタはギガスの近くにマルス133を撃ち込み、空から飛来したドラコと戦うように仕向けた。

2匹の巨大怪獣の咆哮は、地中深くで眠っていたレッドキングを呼び覚ますことになった。水爆探知機はレッドキングの登場によって爆発してしまった。水爆を飲み込んだのはレッドキングだったのだ。

レッドキングはギガスとドラコの戦いに割って入った。ギガスのふがいない戦いに業を煮やしたレッドキングは自ら参戦してドラコの翼を毟り取ってしまった。これで飛べなくなったドラコは、地球の怪獣であるギガスとレッドキングになぶりものにされた。

やがてギガスとレッドキングが戦い始めた。水爆はレッドキングの首の辺りにあり、怪獣同士の交戦中に起爆してしまっては大変だった。ハヤタは自ら囮となってレッドキングの注意を自分に向けさせようとした。レッドキングはギガスを退け、ハヤタに向き直ると薙ぎ払うように腕を振った。

崖から転落したハヤタはわずかな隙にウルトラマンに変身した。

レッドキングから逃げたギガスに、イデは強力乾燥ミサイルを撃ち込んだ。水分を奪われたギガスは粉々に砕けてしまった。

スペシウム光線を使えないウルトラマンは、ウルトラ反重力光線でレッドキングを操り、八つ裂き光輪で首をもぎ取ると、それを宇宙の彼方へ運び去って爆発させた。

これでツイフォン接近事件とオホーツク海事件は無事に解決した。科特隊本部ではフジ隊員が喜んでツイフォンが遠く離れていったことを伝えた。だが、岩本博士だけは難しい顔で計算に集中していた。彼はムラマツ隊長に計算結果を見せた。

3026年7月2日ツイフォンは再び地球へやって来て、今度は地球に激突する。それが計算によって導かれた結論であった。ムラマツはそのころの地球人はきっと優れた科学によってツイフォンの軌道を変えてくれるだろうと話し、皆を安心させた。


<雑感>

第25話「怪彗星ツイフォン」は、怪獣プロレスが爽快な回である。日本アルプスの雪で覆われた山々の中で繰り広げられる怪獣同士の戦いは、映像の美しさと相まって、なぜか胸がスカッとするのである。

「ウルトラマン」というと、風変わりな脚本、例えば「故郷は地球」「怪獣墓場」などが取り上げられることが多いが、正統派のウルトラマンといえば「怪彗星ツイフォン」や「怪獣無法地帯」などの、巨大怪獣の咆哮が楽しめる作品になる。あくまでこちらが正統派なのだ。

怪獣映画やテレビドラマの本分は人間ドラマにはない。あくまで主役は怪獣であり、その咆哮であり、圧倒的火力なのだ。これがない怪獣映画など退屈極まりない。怪獣映画において人間ドラマはあくまでおまけ、怪獣が暴れるための動機付けを行っているだけに過ぎない。動機付けが弱いと怪獣が暴れるのが滑稽になってしまうので、あくまで怪獣をのびのび暴れ回らせるために人間ドラマもしっかりやってくれと頼んでいるだけなのである。

ここを勘違いしてはいけない。人間ドラマは主役ではないのだ。ドラマは怪獣が暴れる動機付けである。

その点、この物語は素晴らしい。ツイフォン接近とオホーツク海事件がすべて怪獣が暴れるために動機と結びついている。ギガスが目を覚ます、ドラコがやってくる、レッドキングが地上に出てくる、これらがすべて前半部分のドラマと結びつく。こうでなくてはいけない。

怪獣のキャラが立っているのもいいところだ。ギガスは怪獣というか、ビックフット的な未知の生命体、ドラコは宇宙生物、レッドキングは古代生物である。造形もわかりやすい(重要)。これらが子供の喧嘩のようにギャオーと雄たけびを上げながら戦い合う姿こそ怪獣映画もしくはドラマの醍醐味なのである。

昭和ゴジラの1回目の感想で描いた映画の評価は、ゴジラ映画の背景にある政治性や時代性を読み解くことが主眼だったので、怪獣映画において人間ドラマはあくまでオマケだと書きそびれていたかもしれない。そもそも人間ドラマに於いてある人間像を描きたいのであれば、怪獣など出さなければいいのだ。それをやっていいのは初代ゴジラだけである。

初代「ウルトラマン」は、様々なヴァリエーションの脚本が混在して、シリアスからホラーからコメディまで幅広く脚本に落とし込んで飽きない作りであった。