「テレーズ 情欲に溺れて」(2013年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

チャーリー・ストラットン監督によるセルビア・ハンガリー・アメリカの恋愛映画。出演はエリザベス・オルセン、オスカー・アイザック、トム・フェルトン。

 



<あらすじ>

テレーズ・ラカンは叔母のマダム・ラカンの家に引き取られ、その家の病弱な息子カミーユと結婚させられた。一家はパリへ出たが、生活は豊かなわけではなかったが、週に一度は人を招いてゲームをやった。その客のひとりにカミーユの友人のローランがいた。ローランとテレーズは惹かれ合い、肉体関係に発展するとカミーユが邪魔になった。

そこで湖で溺れさせてカミーユを殺した。数か月後、ふたりは結婚して、マダム・ラカンと暮らし始めた。念願叶ったかに思えたが、カミーユを殺したことでふたりの関係は壊れてしまっていた。口論が絶えず、ついにマダム・ラカンは息子を殺したのはふたりだと知るに至った。

しかし彼女は半身不随状態になっていた。床に犯人の名を刻みつけ復讐を果たそうとする叔母。しかし彼女は風呂で溺れかけてテレーズに助けられる始末。彼女には絶望しかなく、またローランとテレーズにも絶望しかなかった。若いふたりは毒をあおって死に、マダム・ラカンだけが残された。

<雑感>

マダム・ラカンはテレーズに対して支配的で、彼女の運命を掌握していた。テレーズはそのことが不満でカミーユを殺したのだが、その行為は運命を変えることに結びつかなかった。この場合の運命とは、マダム・ラカンの信仰心や思い込みである。

幼いころに母を亡くし、父は叔母に子供を預けると行方不明になってアフリカで死んだことが知らされてくる。テレーズは反発すべき両親を失ったことで、自由になる機会を失った。情欲に溺れて身を滅ぼしたのではなく、支配から逃れられなかったのだ。

☆3.7。シリアスな話が好きなので楽しんだが、救いようのない物語で、誰ひとり幸せにならない。