「どろろと百鬼丸」(1969年作品)第25話(妖怪土坊主)感想 | 深層昭和帯

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よく栄えた町へやってきたどろろと百鬼丸は、そこでものぐさな乞食と出会った。



この乞食はもう10年も地面に座ったまま動かず、食べ物も口に押し込んでもらわなければ食べないほどのものぐさであった。なんでも乞食は尻の下に妖怪を封じており、それを理由に町民たちに施しを受けているのだという。町人たちは話を信じていなかったが彼を面白がり、ずっと養ってきたのだった。

だが百鬼丸は違った。男の尻の下に確かに妖怪の気配を感じ取り、男をどかして妖怪を退治しようとした。

ところが男はものぐさすぎてどこうとしない。怒った百鬼丸は男を斬ってでも妖怪を倒すと息巻いたが、さすがにそれでは情けも何もあったものではないとどろろが諫め、自分が男をどかして見せるから待っていろと百鬼丸に告げた。

どろろは必死に男をその場からどかそうとあらゆる手を尽くしたものの、男は生来のものぐさ。テコでも動かずさすがにどろろも手を焼いた。そこで眠り薬を使って男を無理矢理動かすと、たらいに放り込んで10年来の垢を洗い流した。特に尻には汚い文字が書いてあったので念入りに落とした。

ところがこれがいけなかった。

ものぐさ男は生まれてより働かずに生きることばかり考え、ある日旅の偉い層にそのことを相談した。旅の僧侶はそこまで言うのなら願いを叶えてやろうと男の尻に魔封じの文字を書き、町で最初に話しかけてきた男を尻に敷けと命じた。

男は乞食のふりをして言われたまま最初に話しかけてきた男を尻に敷くと、それが妖怪で、一生そこから動かず封じ続けろと僧は命じ、旅に出て行ってしまったのだ。以来男はずっと乞食として生きてきた。その魔封じの文字をどろろは消してしまったのだ。

妖怪は泥を肉体に纏った変化であった。百鬼丸が斬っても斬っても妖怪は死なない。一計を案じた百鬼丸は、妖怪に恨まれている男を囮に使い、泥の妖怪を川の中に誘い込んだ。川の流れで身に纏っていた泥を剥ぎ取られた妖怪はついに正体を現し、百鬼丸の剣によって滅せられた。

百鬼丸には本物の皮膚が戻ってきた。

という話。この話はよく考えられていて楽しかった。ものぐさで楽して生きることしか頭にない男が尻の下に妖怪を封じているという発想がいい。これは落語のネタに出来るほどの噺でした。

脚本は鈴木良武氏。やはり上手い。氏はサンライズ初期のロボットアニメを支えた作家のひとり。制作進行出身だが仕事の多くは脚本と演出。アニメ作品のノベライズの面では藤川桂介、鈴木良武らは先駆的役割を果たしている。

次回が最終回。なんだかんだで50年前の作品としてはかなり良く出来ていて楽しめている。