「テルマ」(2017年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

ヨアキム・トリアー監督によるノルウェー・スウェーデン・デンマーク・フランスのホラー映画。出演は    エイリ・ハーボー、カヤ・ウィルキンス、ヘンリク・ラファエルソン。

 



<あらすじ>

ノルウェーの大学通うテルマには幼い日の記憶がなかった。大学で発作を起こした彼女は、助けてくれたアンニャと仲良くなった。テルマは同性のアンニャに惹かれていったが、敬虔な家庭で育ったテルマは道を踏み外しそうになると神に祈った。

たびたび発作を起こすテルマは、病院で精密検査を受けることになった。彼女には神経衰弱の病歴があったが、幼い日の記憶がない彼女はまるで覚えていなかった。心因性発作と診断された彼女は、祖母の病歴から遺伝的疾患であることも疑われた。祖母は、夫に対して死ねと念じたら本当に死んでしまったことを気に病んでおかしくなり、老人ホームで孤独のうちに生きていた。

アンニャが姿を消した。彼女の行方は彼女の母も知らなかった。テルマの部屋には彼女のものと思しき髪の毛の束が置かれていた。発作の原因を調べるために実家に戻ったテルマは、父に薬を盛られて意識が朦朧とした。父は娘が祖母と同じく願えば叶える力があると知っていた。

テルマはかつて弟を殺していた。それは両親が弟ばかりを愛するためであった。そこで父であるトロンは、同じ力のある祖母の力を封じた薬をテルマにも与えて力を封じていたのだった。トロンは娘をこのまま実家に閉じ込めようとした。テルマは父の薬を拒否して、父を焼き殺した。車椅子生活だった母の病は治して、自力で立てるようにした。

そして愛するアンニャと再会することを願った。するとアンニャと巡り合うことができた。彼女が消えたわけは、テルマを愛していたものの、テルマが神に祈り彼女を拒んだからだった。ふたりは互いを受け入れ、熱いキスを交わした。

<雑感>

反キリスト的内容も含んだなかなかの問題作。奇蹟を起こす力が本当にあるのなら、あなた方キリスト教徒は魂の解放を願う人たちに焼き殺されて死ぬでしょと指摘している。それだけキリスト教による抑圧は強く、人間の可能性を摘んでいるはずですよと。

テルマに力があり、それを怖れた父が薬を使ってその力を抑えつけているのは、キリスト教による抑圧を可視化した演出だ。これをそのまま「薬を盛った」と解釈するのは間違い。キリスト教による精神の抑圧を象徴的に演出してあるだけだ。

テルマが祈ることでアンニャが姿を消すところもそうだ。神による抑圧を受け入れることで、愛を失うと反キリスト的に映像化したものがあのシーンである。アンニャの髪が部屋に残っていたのは、アンニャのテルマへの想いや未練が残っていて、それを見たテルマが彼女の愛を思い出すことに繋がる。

「もしこの世に奇蹟があるのなら、男たち(父と弟)は殺す。女(母とアンニャ)だけ生かす。そうなっていないのは、神がこの世にいないからだ」と逆説的に神の不在を説いている。テルマの両親が、姉であるテルマを放置して弟を溺愛したのは、男性優位社会の象徴であり、テルマがその弟を殺したのは、社会構造への反逆である。

これらがこの映画の本質。多分にフェミニズムの影響を受けた現代的作品であった。

☆4.5。こうした女性性のアンチキリスト属性には昔から興味があるので、かなりの高評価になった。