「ロリータ」(1997年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

エイドリアン・ライン監督によるアメリカの恋愛映画。出演はジェレミー・アイアンズ、ドミニク・スウェイン、メラニー・グリフィス。

 



<あらすじ>

イギリスのフランス文学研究者のハンバートは、アメリカの大学に職を得てニューハンプシャーにやってきた。下宿屋の女主人シャルロットには14歳の美しい娘ローがいた。かつて憧れだった少女を失った経験のあるハンバートは、年端もない彼女に恋をしてしまった。

ローを傍に置いておきたいと願ったハンバートは、母のシャルロットと結婚した。そして娘のローに言い寄っていく。ローもハンバートに懐いていくが、そんな関係をシャルロットが知ってしまい、夫はケダモノだと激怒した彼女は道路に飛び出して事故死してしまった。

ローとともにビアズリー大学への旅に出たハンバートであったが、ビアズリー大学はおかしな学校でローもハンバートも馴染めず、また旅に出ることになった。だが、ローは徐々に退屈してきてポルノ映画制作をしているキルティと知り合い、ハンバートを捨てて逃げていった。

3年後、ローからハンバートに連絡があった。彼女は妊娠して金がなくなっていた。会ってみると昔の面影はなくなっており、ただのみすぼらしい女性になっていた。すでに昔のローではなかったものの連れて帰ろうとすると彼女は嫌がった。

頭にきたハンバートは、キルティの屋敷に押しかけて問答の末に彼を殺し、警察に捕まった。ハンバートは獄中で死に、ローもまた難産で死んだ。

<雑感>

小説「ロリータ」は、書かれている内容とパブリック・イメージが大きく乖離している作品だ。

原作の骨子は「少女は女(おばさん)であり、男は少年(ガキ)である」に尽きる。男性が少女の中に見出すものと実際の少女の中にあるものは違っており、心が大人の少女と心が子供の大人のふたりの人間の心がすれ違う物語なのだ。

一般的なイメージはなぜか「年配男性が若い女性を好む」と解釈されている。これは大きな間違いで、年配男性の少年性と年少女性の成熟性の対比なのである。

1997年版の映画は劇場で鑑賞したはずだ。当時の感想も現在の感想もあまり変わりがなく、対比が不十分でただの恋愛ドラマになってしまっている。ローを男性視点の少女として描くのはいいが、それが実は違っていたとわからせるためにはローが見ず知らずの青年の子供を妊娠して落ちぶれている様子を強調しなければいけない。

原作に忠実であるのに、かなりズレてしまっている。

日本のいわゆるロリコンは、少年時代そして青年時代の恋愛経験が乏しい人間が、人生のやり直しを求めるかのように年少女性を求めているので、本来的なロリータ・コンプレックスと言える。そしてそれはこの上なく恥ずかしいことなのだ。

高校時代の恋人と結婚する人生が最も幸福だというのは、おそらく正しい。少年と少女は高校時代という同じスタートに立って、歩み始めることが出来るからだ。

大人になり切れなかったおじさんと、おばさんのように性欲を持て余すメスガキの組み合わせなど地獄でしかない。☆3.5。