チャールズ・マーキス・ウォーレン監督によるアメリカの西部劇映画。出演はチャールトン・ヘストン、ブライアン・キース、ジャック・パランス。

<あらすじ>
アパッチ族と境界線を接する地域に暮らす人々がいた。彼らはアパッチ族と融和的な政策を進めていた。酋長の息子トリアノは白人と友人の証を結ぶほど親密に、まさに親友として育っていた。
そのトリアノがアパッチ族居留地へ戻る。アパッチ族を信用しない偵察兵のバーノンは白人に警告を発するが、居留地の指揮官は耳を貸さない。アパッチ族は白人に差別されており、その怒りはくすぶり続けていたが、トリアノはずっと機会を窺っていたのだ。
そして武器庫を襲撃して銃を奪い、反撃に出た。白人はバーノンを先頭にしてアパッチ狩りを行い、最後は無敵の勇者トリアノをぶち殺して恫喝。反乱を抑え込んだ。
<雑感>
要するに、白人はみんな仲良くしようとして教育も施したのに、アパッチが裏切った。だから成敗したという内容なのだ。チャールトン・ヘストンはいい役者なんだけど、時代がねぇ。
この映画を観て、アメリカ先住民の感覚の違いと、法観念の違いについては興味を持つ。掟に縛られながら、白人的法秩序には最後まで馴染めなかった不思議についてだ。だがそれをこの映画から学ぶことはできない。映画は悪いアパッチと良い白人、そして暴力の肯定しか描いていないからだ。
もうひとつ言えるのは、この映画のような対立構造をアイヌなどに当て嵌めているバカがいるということだ。アイヌと本州の人間が古代日本語圏の共通民族であること、北方地域に住んでいたために孤立的であったこと、環境の変化によって北海道に侵略してきて先住民族を滅ぼした立場であることなど基本的なことを一切無視して、アメリカ先住民と同じだと決めつけて運動を展開しているのだ。
あいつらは本当に頭が悪い。アイヌ問題には白人も首を突っ込んでいるが、大きく進んだ日本語圏の集団と最も遅れた日本語圏の集団が交易を通じて信頼関係を構築し、アイヌが合流する形で明治以降混交していった本当の歴史を無視している。白人は本当にバカだ。
☆2.4。この映画はいまとなってはバカな白人のバカな映画としてほぼ晒し者的意味しかなくなってしまった。