「機動戦士ガンダム」(1979年作品)第34話 感想 | 深層昭和帯

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第34話「宿命の出会い」



サイド6で生存が確認された父の元へ通うアムロ。しかし父はすでに昔の父ではない。悲しみを堪えホワイトベースへの帰路を急ぐアムロは突然の雨に驚いて見知らぬ家の軒先を借りた。その家にいた褐色の肌の少女との出会いは、アムロの潜在能力を覚醒させていくことになる。

帰路、ぬかるんだ砂地にタイヤを取られて立ち往生してしまったアムロを助けたのは、ザンジバルでサイド6に入港してララァ・スンを引き取りに来たシャア・アズナブルであった。突然のシャアとの出会いに驚いたアムロは礼もそこそこに逃げるように立ち去っていった。

ザンジバルの入港に慌てたホワイトベースは、ただちに出港する準備に忙しかった。そこにミライの婚約者カムランがやって来て、サイド6のエリアギリギリまで自分が先導するからと申し出た。その行為に複雑な気持ちを隠せないミライの顔をスレッガーが張り倒した。

ザンジバルを避けて出港したものの、外にはコンスコンのチベとムサイが待ち構えていた。コンスコンはドムを発進させてサイド6のエリア内でホワイトベースを取り囲み、先導するカムランを追い払うように威嚇した。ブライトはすぐさまガンダムの発進を命じた。

エリアを出るなり戦闘が開始された。すでに近くまでやって来ていたドムはホワイトベースに容赦なくミサイルを浴びせていく。ところが出撃したアムロはいつもと様子が違っていた。勘が良く働き、ドムの動きを先回りして読むような攻撃をする。

主砲に配置されたスレッガーは、ムサイのみに狙いを定めてこれを撃沈させた。ドムをすべて撃墜したアムロは重巡洋艦チベの弱点を見抜き、1機で戦艦を撃沈させてしまった。

これらの戦争の様子は平和ボケしたサイド6にも流れたが、彼らにとって戦争は他人事であるのは変わりなかった。酸素欠乏症で頭がおかしくなったテム・レイは、ガンダムの戦果を自分が提供したパーツのおかげだと信じ込んで大喜びしていた。

という話。

メインはアムロとララァの出会い。老いた白鳥が死にゆく場面に遭遇してそれを悲しむララァの場面は有名。短い尺でララァという謎の少女のことを上手く紹介して印象付けている。あまりに尺がなさ過ぎていろいろ妄想が捗る部分でもあり、のちに安彦良和によって詳しく描写されることになる。

カムランやテム・レイ、また永世中立を気取って自由と民主のために戦わないサイド6住民のことなどもろもろを詳しくは描写せずに置き去りにして飛び立っていくところが物語にテンポを与えている。ホワイトベースが逃げ回っているのがいいところだ。

ロードムービーのように旅の要素があるために、ドラマのさわりの部分だけがずっと続いていくところが新鮮味を与えてくれている。ずっと同じ場所にいると物語もどんどん腐ってくるのだ。人間の内面を深く描いても何も出てこないのだから、ふれあいの部分を多く描くべきなのだ。

人間を描くというのは、「個」の内面を追求することではなく、人と人との断絶を描くことだ。人間の内面など追及してもそこには何もない。脳の働きに左右される気分があるだけだ。そんなことより、人間と人間が怖ろしいまでに断絶して理解し合えないことを描く方が人を描いたことになる。

「機動戦士ガンダム」はニュータイプという考え方を使ってそれを描いているところが非常に面白い。これを超能力のようなものと捉えてニュータイプを目指したのがオウム真理教の信者であるが、物事をちゃんと解釈できなかったために人殺しになっていく間抜けな様は大笑いだったものだ。

ガンダムは作品数が多すぎておそらくニュータイプを超能力のように描写しているものもあるはずだが、文芸的意図を読み取れないというのは情けない限りである。