※画像は「photo AC」様よりお借りしています。

 

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「あの夏の日」- 後編 -

 

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「じゃあ、祐太を途中まで送ってくから」


「はい、気をつけて」

玄関の上り口に立つシンが声をかけると、背を向けて靴を履いていた六角が笑顔で振り返った。

「シン君、今日はありがとね。お邪魔しました」


「こちらこそ、昔の湊さんの話が聞けて、とっても楽しかったです」

昔話の中には湊の黒歴史の一部も含まれていた。


もちろん湊がトイレに立っているすきに聞き出したものだ。


だがそのことにまったく気づいてない湊は穏やかに微笑んでいる。

「また遊びに来いよ」

六角にそう告げると湊は同意を求めるようにシンに顔を向けた。

「な、シン」


「はい、いつでもどうぞ」



大通りに続く夜道を並んで歩きながら、六角が感心したように言った。

「シン君、マジいい子だね」

子供の頃から実の兄のように慕っている湊が、いわゆる「ゲイ」であることに気づいたのは自分が中学生の時だった。


当時高校生の湊が教師の佐久間に対する思いに悩んでいることを、直接聞いたわけではないがなんとなく気づいていた。


そしてその後、何人か女性と付き合ったようだが、どれもうまくはいかなかった。


彼女の話を無理やり聞き出そうとしても、いつもつまらなそうな顔をするばかりだった。


そんな湊が今日はずっと幸せそうに笑っていた。


シンのことが可愛くて仕方がない。

 

言葉にはしなくても熱い思いが伝わってくる。


安堵する六角とは対照的に、湊の顔にはわずかな影が差していた。

「ああ・・・・・・」

そう言ったきり、湊はピタリと足を止めた。

晃 兄 あきら にい、どうしたの?」


「ん、実はさ・・・・・・」

湊はずっと抱えていた思いを少しずつ六角に話し始めた。


話を聞き終わると、六角はしばらく黙って考え込んだ。


湊の相談は自分が軽々しくアドバイスできる内容ではない。


だが少しして、ふとひらめいたように瞳を輝かせた。

「晃兄、明日の夜、時間ある? 会わせたい人がいるんだけど」


「会わせたい人?」


――――――――――――――――――


「安達さん、今日って仕事の後、何か予定ありますか?」


「や、特には無いけど・・・・・・」

安達の資料整理を手伝っていた六角は明るい口調で問いかけた。

「じゃあ、飲みに行きません?」

その誘いに安達は即座にうなずいた。


今回はアンテナショップ設立の準備のために、約1週間の予定で黒沢を含む三人で浜松まで出向いてきたのだが、何かとバタバタしていて三人で食事に行くこともままならない。


せっかくだからどこか地元の名店にでも行ってみたい。

「そうだな、いい・・・・・・」

だが安達の返事が終わる前に背後から声が響いた。

「いいよ!」

二人が振り返ると、そこに笑顔の黒沢が立っていた。

「く、黒沢さん・・・・・・」

六角は言葉を詰まらせた。


以前から気になっていたのだが、安達と少し親密な話をしようとすると、そこに必ず黒沢が現れる。


もちろん黒沢は一番尊敬する先輩で、ただの飲み会ならむしろ三人のほうが楽しい。


だが今夜は・・・・・・。

「すいません、黒沢さん。実は安達さんに相談があるんです。だから、今回は・・・・・・」


「はあ? なんだよそれ、俺が行っちゃいけないの?」

安達が六角と仕事以外で二人きりになるなんてありえないことだ。


思わず声を荒げる黒沢に、六角はぺこりと頭を下げもう一度同じ言葉を繰り返した。

「すいません」

いつになく真剣な色をたたえた六角の表情に気づくと、安達は食い下がるように一歩踏み出す黒沢を制した。

「黒沢、もういいじゃん、六角も色々あるだろうし ・・・・・・」

自分に相談するということはたぶん仕事の話ではないのだろう。


しかも黒沢には話しにくいことのようだ。


ならば出来るだけ後輩の要望を聞いてやりたい。


安達にたしなめられると、黒沢は眉間にしわをよせ渋々うなずいた。

「まあ、安達がそう言うなら・・・・・・」


――――――――――――――――――


六角が予約したのは浜松駅のすぐ近くにある魚料理が評判の居酒屋だ。


天井が高い古民家風の内装でそれぞれのテーブルが和風の衝立で仕切られている。

「あ、来た来た。晃兄、こっちこっち」

店の入り口に向かって軽く手を振る六角の視線の先に若い男が立っている。


よく見ると顔立ちがそっくりだ。

「安達さん、さっき話した従兄弟いとこ湊晃みなと あきら です」

湊を待つ間、安達は六角から湊のことについて聞かされていた。


自分たちと同様に男同士のカップルであること、相手が医学部の学生であること、二人が一緒に暮らしていること、そして・・・・・・。

「晃兄、こちら会社の先輩の安達さん」

互いの紹介を終えた六角の顔と口調に真剣さが満ちた。

「安達さんもパートナーは男性なんだ」

六角の言葉に湊は一瞬、驚いたように目を見開いた。


自分たち以外の男同士のカップルと言えば、幼馴染の明日香と柊くらいだ。


そしてその言葉は何よりも心強い。

「だいたいの話は、六角から聞きました」


「そうですか、すみません、お忙しいのに」


「いいえ、実は俺も同じことで悩んだ時期がありましたから」

穏やかに微笑む安達に湊は心を打ち明け始めた。


湊の悩みはシンのことだ。


将来医者になるシンと、しがないコインランドリーの管理人である自分とはどう見ても釣り合わない。


今は良くても先々のことを考えれば、いつか自分の存在がシンにとって邪魔になるのではないか。


シンと二人で暮らし互いの心を通わせてから、そんな不安が日ごとに大きくなる。

「俺なんか、シンの傍にいないほうがいいんじゃないかなって。最近はそんなことばかり考えてしまうんです」

肩を落とす湊に安達はうなずいた。


底なし沼のように広がるその灰色の迷いがまるで自分のことのようによくわかる。

「俺も同じでした。自分みたいな何のとりえもない男が・・・・・・って」

トップ営業マンでなんでも完璧にこなすイケメン。


そんな黒沢がなぜ冴えない自分のことを好きになってくれたのか、最初はただ疑問だった。


その後も黒沢に優しくされるたびに自信のなさと劣等感に押しつぶされそうになっていた。


そしてあの夜、社内コンペで最終審査に残れなかったあの夜、黒沢のもとから逃げ出そうとした。

 

もし魔法の力が無くなったら、自分はまたつまらない男に戻ってしまう。


そう思うと、黒沢の傍にいることがつらかった。


けれどそんな臆病で卑怯な自分を黒沢は許してくれた。

―― 俺たち、もうここでやめておこうか。

悲しみに満ちた瞳で、それでも精一杯微笑んでくれたあの時、心の奥では気づいていた。


黒沢が愛してくれたのは今の自分、ただありのままの「安達清」という人間を愛してくれたのだと。


だからこそ、自分を卑下することは黒沢がくれる純粋な愛情を侮辱することになる。

「だから俺、悲観するのをやめたんです。俺に出来ることはただ誠実に黒沢と向き合うこと。そして黒沢に恥ずかしくないよう今の自分がすべきことを一生懸命にやるだけ。そう思うようにしています」

言い終えた安達の瞳が輝いている。


それは黒沢へ信頼と愛情が確信に満ちたものであることを物語っている。

「安達さん・・・・・・」

まぶたをパチパチとしばたたかせると六角は思わず安達の手を取った。

「なんか今日、すっげぇカッコいいっす!」


「なんだよ、それ」

面と向かって褒められるのはなんだかこそばゆい。


安達が照れ笑いした次の瞬間、客席を隔てている衝立の向こうから男の泣き声が聞こえてきた。


それはどこかで聞き覚えのある・・・・・・。

「え?」

隣の席を確認しようと身を乗り出した安達の目の前にいたのは・・・・・・。

「く、黒沢? なんでここに?」

いるはずのないその姿に安達が驚きの声を上げると、黒沢は子供のように鼻を赤くして涙を拭いながら言葉を続けた。

「だって、なんか気になって・・・・・・・」

安達は肩をすくめると小さくため息をついた。


考えてみればあの黒沢がおとなしく帰るはずがない。

「もしかして、今の話・・・・・・」


「うん、最初から全部聞いてた。ごめん」

悪いこととは思いつつ、二人の後をつけてここまで来た。


そして日頃、自分からはなかなか愛情表現をしてくれない安達が自分たちのことを真剣に考えてくれているとあらめて知った。


嬉しさと安達をほんの少し疑った自分を反省する気持ちが沸き上がり、涙が止まらない。


おしぼりで黒沢の涙を優しく拭う安達を背後で見つめながら、六角はテーブルの向かいにいる湊に身体を寄せてささやいた。

「俺、この二人を会社で毎日見てんだ」

おどけた口調の六角に湊も微笑んだ。


これほど深い愛情で結ばれているカップルの傍にいれば、年下の従弟が“恋愛マスター”になるのも当然かもしれない。


――――――――――――――――――


三人に丁寧に礼を述べ帰宅した湊は、家の近くに来ると室内の明かりに照らし出された庭に目を向けた。


Tシャツと短パンに着替えたシンが縁側に座っている。


そして湊の姿に気づくと笑顔で手を振った。

「湊さん、お帰りなさい」


「何してんだよ、こんなとこで」

湊の問いかけにシンはかたわらに置いてあった白いレジ袋をかかげて立ち上がった。

「帰りに駄菓子屋で花火買ってきたんです。一緒にやろうと思って湊さんが帰ってくるの待ってました」

いかにも待ちかねていたように、にっこりと愛らしく微笑む。


その無邪気な可愛さに胸がギュッと締め付けられる。


思わず駆け寄ると、湊はシンの身体を強く抱きしめた。

「湊さん? どうしたんですか?」

湊から抱きついてくれることなど滅多にない。


嬉しさよりも驚きのほうが勝っているかのように尋ねるシンの耳元に湊は小さく言葉を吐いた。

「シン、ずっと・・・・・・」

その先の言葉を言いたいのに、照れ臭さが邪魔をする。

「ずっと? 何ですか?」

少しだけ身体を離したシンが確かめるように湊の顔をのぞき込む。


だが湊は顔を見られないようもう一度強く抱きしめると、ただひとつの思いを込めて言葉を続けた。

「・・・・・・ずっと、そばにいてくれよな」

湊からこんな言葉を聞くとは思わなかった。


そしてその返答は考えるまでもないことだ。

「ふふ、もちろんです。湊さんが逃げ出したくなっても、どこまでも追いかけていきます」


「はあ? なんだよ、それ。ストーカーかよ」

シンは湊を抱きしめる両腕に力を込めると熱を帯びた声で言葉を返した。

「はい、俺は生涯、湊さん専属のストーカーですから」


「っつたく、ブレねえな、お前は」

そう、シンの思いはこれまでもこの先も、たぶんずっと変わらない。


二人を取り巻く状況がどう変化しようと、互いの思いが揺らぐことはない。


あらためてそう確信すると、湊はシンからそっと身体を離した。

「じゃあ、やるか、花火」


「はい、あ、でもその前に」


「ん? 何だよ?」

問いかける湊に、シンはそれが当然とでも言いたげに平然とした口調で言った。

「ご褒美ください」


「ご褒美?」


「はい、いい子で待ってたご褒美」

少し背の高いシンが、軽くあごを引き上目遣いで見つめる。


愛らしさとあざとさを含んだその瞳は、何を欲しがっているのか一目瞭然だ。


湊はシンの正面に立つとその両肩に手をかけた。


ゆっくりと顔を近づけると、シンが静かに目を閉じる。


鼻先に互いの吐息を感じるほど距離が近くなったその時、

「外でするかよ、ばぁーか!」

ここまでの甘いムードをぶち壊すような思いがけない湊の態度、いや、湊ならやりかねない。


シンは詰め寄るように声を荒げた。

「はあ? じゃあ、中ならいいんですよね。だったら今すぐ家の中入りましょ!」

すねるように頬を膨らませ湊の右手をつかむと、そのまま連れ去るようにグイと引っ張る。

「お、おい、どうすんだよ、花火!」


「そんなもの、後でいいです!」

シンは案外、力が強い。


意に逆らってこの場に踏みとどまることなど無理だ。

「わかった、わかったから! 手、放せって!」

湊の言葉にピタリと動きを止め、シンが振り返る。


その瞳が心なしか潤んでいる。


「ただいま」のキスすら湊からしてもらったことはない。


いつも追いかけるのは自分だ。


そんなことは最初から分かっているのに、なぜだか今日は一層寂しい。


切なく見つめるシンと手をつないだまま湊は促した。

「・・・・・・こっち来い」

そのまま二人で玄関に入り、引き戸を閉めると湊はシンを抱き寄せた。

「ただいま」

言いながらほんの少しだけ背伸びをすると優しく唇を重ねる。


初めてのキスではないのに、シンの唇はかすかに震えていた。



しばらくして、二人並んで縁側に腰を下ろし、花火に火をつける。

 

「うわぁ、綺麗」


シンは何事もなかったかのように上機嫌だ。


パチパチと音を立てて弾ける花火と、その青白い光に映し出されるシンの愛らしい笑顔を見つめながら湊は思った。


この夏の日の出来事をきっと一生忘れないだろう。



💖おしまい💖