義兄のお見舞いと主治医の説明 | アラ冠こぶた(別居夫は腎臓がんⅣ 淡明細胞がん急進行型)

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①アラ冠になって思うこと・色んな日常
②夫の腎がん闘病記
③Ⅱ型糖尿病の治療のために受けた胃スリープ手術とその後の生活の記録のまとめ

義兄が来てくれると言うので私も面会時間に合わせて病院へ向かいました。

面会が13時からなので早めの昼食を途中で食べようとしている時に主治医から電話が。

電話で色々説明を始められたので、今日の面会時間に義兄と共に面会へ行くことを伝えたら、画像を見ながら説明して下さることに。

ただ、ミーティングが入っているとかで16時30分からなので面会は13時と約束しているし、時間を潰してもお話しを聞きたいです、と伝えて電話を切って病院へ。

義兄とも面会申請窓口で合流が出来て、最初に入院した階のナースステーションへ行くと病室というか泌尿器科の病棟に変わったと言われ、待ち時間の長いエレベーターに乗って泌尿器科の病棟へ移動。

そこのナースステーションで聞くと部屋に案内してくれたのですが、割とナースステーションに近い個室でした。

急に悪化した病状からすると、緊急対応が出来る部屋じゃなきゃいけないんでしょうね。

それだけ状態が悪いということなんだと思いました。

 

義兄と夫に声をかけると看護師から「お薬の飲みこみが悪くなっているので服薬ゼリーを買って来て欲しい」と頼まれたので私は院内薬局へ行って調達しナースステーションへお届け。

それからしばらく義兄と2人で夫に話しかけてるけど、うすぼんやりした受け答えです。

そうしているうちに先ほどの看護師(今日の担当)が来て主治医の時間が取れたから、この後説明が出来ますよ、と。

そして大きなモニターがある会議室のような所へ案内されました。

 

そこで見せてもらった画像は腎臓のがんがお腹に大きく広がって、脾臓とも胃とも境目が分からなくなってがんが浸潤しているのがすぐにわかるCT画像でした。

更に肺の画像でもたくさんの転移が認められます。

一番新しいのは側面の筋肉にも浸潤している可能性まである物で、もう体の状態も含めて終末期だと分かりました。

今の夫に出来るのはカリウムが高いことで起きていると予測される精神状態の異常を取り除くための投薬と排出するための点滴と利尿剤の投与。

でも排出を促すための点滴の量は浮腫みからくる心不全を悪化させないために、出来る量に限度があることも。

要するに出た状態に合わせて対処療法をする以外は何もできないという事です。

食事量が減っていても中心静脈からの栄養補給の点滴は癌に餌を与えるようなことになるのでやらない方がいいとも言われました。

唯一、骨転移がないのが痛みが少ないのでまだ救われる事でしたね。

それがあったら医療用麻薬で鎮静するしかないですが、少なくとも多少なりとも会話が出来る現状ですから。

また、痛みがないので緩和ケア病棟へ移れるかが微妙らしいです。

主治医としては泌尿器科だと手術などですぐに主治医が対応できないことがあるけど、緩和ケア病棟では医師が常にいるのと、終末期に慣れた看護師が揃っていることで夫にとっては過ごしやすいのではないかと考えてくれているようです。

その辺は依頼はしておくのであちらの病棟の状況によってどうなるか変わって来るとも言われました。

まあ、治療と言うより対処ですからそういう判断になるのも仕方がないです。

 

主治医に今後の事について聞かれたのは、延命措置や蘇生措置の事です。

夫と詳しく話したことはないですけど、雑談の中で痛いのや苦しいのは嫌だ、とか、無理やり生かされるのは嫌だ、とは言っていたので、そのことを伝えた上で、夫から聞ける状態の時にどうしたいかを聞いてもらいたいと伝えました。

夫に判断が出来る状態なのならば、本人の意思が一番だと私は思うので。

あと、せん妄状態が進むといきなりベットから降りようとしたり、点滴を引き抜いたりすることもあるので拘束の許可証も書きました。

こちらは私もヘルパーをやっていたので、仕方がないことだとすぐにサインしました。

 

今日の主治医の説明では、いつまでと明言は出来ないけれど退院は難しい、もう月単位では考えられない、そういう話でした。

というか、心臓が持たなくなったらいつでもおかしくないということなんでしょう。

今日、多少なりとも会話の出来る状態で義兄と面会できたこと、義兄も主治医からの説明を一緒に聞いて病状がかなり悪い事を分かってもらえた事は良かったんじゃないかな。

前の病院からの治療の経過や、その時に腎臓がんでは少ない急進行タイプと言われたことも話せたし、主治医もそれを肯定してくれたのでオプジーボが効かなくなったら使える薬がないことも明言してくれたし。

3年、オプジーボ効いてくれたのだって長い方なんだと思うしかないです、間質性肺炎の時に完全中止になっていれば、あの時の緊急入院から戻ってこれなかっただろうから。

それを考えたら長く使えたと思うしかないですね。

これからは日ごとにどう変化していくか分からないけど、帰り際の駅への道すがら義兄から葬儀やお墓について聞かれました。

細かくは話していないけどお墓については犬や猫も一緒に埋葬したいので樹木葬のお墓を購入済みな事、葬儀は最初の緊急入院から休職して傷病手当の期間が終わったら退職したので会社にも知らせないで家族葬で行うつもりである事と、夫の住む家の近くの駅そばにある葬儀場がちょっとお得になる優待会員の資格があるので、便利だしそこでいいよね、と前に話していた事などを説明しました。

義兄はずいぶん段取りがいいと思ったかもしれないけど、最初の段階から余命宣告もどきを聞いてしまったので、本人が納得できる準備はそれなりに雑談に交えて聞き出していたんですよ。

義兄からしたら私が取り乱してないのに驚いたかもしれないけど、私の場合は小学生の時に祖母、中学生で祖父、その後も伯母や叔父や伯父などの葬儀を中心になって行う母を横で見てきたのもあるし、夫が腎臓がんになる前に父も見送っているので、ある意味、感情が麻痺してるのかもしれませんね。