私の好きな時間

古代史の謎を追いかけること

しかも、自分の感覚で…

それを、人は、妄想と呼ぶ(笑)


ただ、追っていくうちに、いくつものシンクロを見つけたりすると、心のうちから震える感覚が湧き上がることもあるので、妄想とは呼ばずに、「追想」と自分では呼ぼうかなと思っている
(笑)



あすかを想う。

大伯皇女の歌を読むたび、涙する。

彼女の生年は、661年。
私の誕生年の、ちょうど1300年前なんだと、わかった時は、嬉しかった。

すこしでも、繋がりをみつけたいものだよね…(笑)

ちなみに、
彼女の亡くなった年に、光明子が生まれている。


古代史を読み始めたころは、まず、定説を知る。

飛鳥の地の蘇我氏を知る。

天下の悪の元といわれ、滅ぼされた蘇我氏

天皇家を差し置いて好き放題をしていた氏族であったと…


ここで、疑問が…

天皇家とは、どこに寄りどころがある血筋か…

父と母の血筋をたどるものならば、蘇我氏は、何代にも渡り血縁を結んでいるよな…

たしか、光明子が入内するとき、初の皇室以外の皇后となるために藤原家のごり押しがあったといわれているくらいで…

蘇我氏は、そうしたら皇室だったってことじゃないか。


ある日、ふと口を吐いた言葉
「甘橿のおじいちゃま」


おぉ~!
胸がときめいた!

誰が、言ったのだ!

大伯か…?


彼女が生まれた時には、甘橿の丘の蘇我の屋敷は、もうない。


ならば…

十市皇女か…


今朝。

なんとなく思いたって、十市皇女を調べてみた。


生年にいくつかの説があったが、ぎりぎり二歳まで、蘇我蝦夷をおじいちゃまと呼べる時があるなと、「追想」

十市の父の大海皇子(天武天皇)は、蘇我氏との繋がりが大きいため。

大伯が、斎王として、伊勢にいた時に、十市と後の元明天皇の阿部内親王の三人が、伊勢神宮で会われたという記事と、蘇我氏が初めて仏教を祭ったときに、日本で初の僧は、三人の女性であった話を読み比べ…

宗像三女神みたい…
と、「追想」…(笑)

昨年、奈良の地に立ち、最初に拝んだ神さまは、新薬師寺の門前のお社。そこには、十市皇女も祭られていた。

ちゃんと、繋がってるでしょ。(笑)


最後に、びっくりしたのは、今日は、蘇我蝦夷の命日であったこと。


愛してるよ。
おじいちゃま。
(笑)

「追想」は、
わくわくする。
(史実とは、異なってても)