鎌倉の大倉幕府跡から、荏柄天神社に向かい、鎌倉宮の先、天園ハイキングコースの山の麓の薬師堂ヶ谷に、覚園寺というお寺さんがある。
今日は、朝からふわふわと目が回っていて、買い物の途中でちょっとお休みした時に、お財布の中にあった般若心経の栞があるのを思い出して取り出した。
溺れるものは、藁をも掴むである。
…読んだら、一点に落ち着けるかなと思って。(笑)
その栞は、昨年の3月にやっと訪れることの出来た覚園寺さんから、いただいたものである。
私の歴史好きが、始まったのは、高三の時に観た大河ドラマの
『草燃える』
に出会って、永井路子さんの本をたくさん読ませてもらってからである。
『炎環』
これが、『草燃える』の原作であるが、この本の最終章に北条義時の話が書かれている。
義時は、北条政子の弟で鎌倉幕府の創生期の武士であり、派手な立ち回りには登場していないのに最後には、あざやかに武家政治の基礎固めを果たしたという、すごく、胸の梳く生き方をした男として書かれている。
ドラマでは、松平健さんが演じられていた。
覚園寺は、義時の持仏堂が最初であると聴いて、私は何度も足を運んだが、30年かけて昨年の春に、やっと拝観させてもらえた。
確か、五回は挑戦しているはずだが、公開されてるときに出会えなかった。
鶴岡八幡宮の銀杏の木が倒れた後、訪れることが出来たことに、感慨深い気持ちを持った。
源実朝が八幡宮で討たれた時、そばにいたはずの義時は、持仏堂の十二神将の戌神将に助けられたという話が残っているからである。
土地には、人の想いも眠っている。
建物だけでなく、木々や岩や山の水に。
覚園寺の本堂の前の樹齢八百年の槇の木を眺めて、義時の目線に想いをはせた。
『草燃える』の後に、もうひとつ忘れられないドラマがあった。
『額田女王』
である。
こちらは松平健さんの大海人皇子と岩下志麻さんの額田女王のお話であった。
!
私の歴史大好きの柱は、飛鳥時代と鎌倉時代。
この時代への想いの強さは、ここから火がついたようである。
今日は、朝からふわふわと目が回っていて、買い物の途中でちょっとお休みした時に、お財布の中にあった般若心経の栞があるのを思い出して取り出した。
溺れるものは、藁をも掴むである。
…読んだら、一点に落ち着けるかなと思って。(笑)
その栞は、昨年の3月にやっと訪れることの出来た覚園寺さんから、いただいたものである。
私の歴史好きが、始まったのは、高三の時に観た大河ドラマの
『草燃える』
に出会って、永井路子さんの本をたくさん読ませてもらってからである。
『炎環』
これが、『草燃える』の原作であるが、この本の最終章に北条義時の話が書かれている。
義時は、北条政子の弟で鎌倉幕府の創生期の武士であり、派手な立ち回りには登場していないのに最後には、あざやかに武家政治の基礎固めを果たしたという、すごく、胸の梳く生き方をした男として書かれている。
ドラマでは、松平健さんが演じられていた。
覚園寺は、義時の持仏堂が最初であると聴いて、私は何度も足を運んだが、30年かけて昨年の春に、やっと拝観させてもらえた。
確か、五回は挑戦しているはずだが、公開されてるときに出会えなかった。
鶴岡八幡宮の銀杏の木が倒れた後、訪れることが出来たことに、感慨深い気持ちを持った。
源実朝が八幡宮で討たれた時、そばにいたはずの義時は、持仏堂の十二神将の戌神将に助けられたという話が残っているからである。
土地には、人の想いも眠っている。
建物だけでなく、木々や岩や山の水に。
覚園寺の本堂の前の樹齢八百年の槇の木を眺めて、義時の目線に想いをはせた。
『草燃える』の後に、もうひとつ忘れられないドラマがあった。
『額田女王』
である。
こちらは松平健さんの大海人皇子と岩下志麻さんの額田女王のお話であった。
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私の歴史大好きの柱は、飛鳥時代と鎌倉時代。
この時代への想いの強さは、ここから火がついたようである。