前回の記事の、
心配することを、シャットアウトした。
これ、かなり、ムチャなイメージを書いているな。
ただ、自分には、この想いが必要だった。
習慣となっているものを止めるとき、身体から起きてくるジレンマのストレスは、相当なものになる。
身体のどこだか解らないけど、なにかが引き剥がされるような感覚を、味わったこともある。
思考の習慣を変えることも、自分では、もやもやとわかり始めていても、習慣を変えることは、難しかった。
…恐かったんだろうなあ…
自我くんは
(笑)
いまでも、これを書いていて、自己否定的な書き方に引っ張られ、それをまた自分で嫌がってるという、負の連鎖を起こしながら、綴っている。
けれども、いまは、それをしている自分を自覚している。
あきらめたのだ。
想いが、わくことを自分には、そういう癖があると認めたのだ。
それが、出てきたら、丁寧にひとつひとつの軌道修正をすればよいと、決めたのだ。
心配に心配を重ねるほど、いまは、暇がないのだ。(笑)
心配することを、シャットアウトした。
これ、かなり、ムチャなイメージを書いているな。
ただ、自分には、この想いが必要だった。
習慣となっているものを止めるとき、身体から起きてくるジレンマのストレスは、相当なものになる。
身体のどこだか解らないけど、なにかが引き剥がされるような感覚を、味わったこともある。
思考の習慣を変えることも、自分では、もやもやとわかり始めていても、習慣を変えることは、難しかった。
…恐かったんだろうなあ…
自我くんは
(笑)
いまでも、これを書いていて、自己否定的な書き方に引っ張られ、それをまた自分で嫌がってるという、負の連鎖を起こしながら、綴っている。
けれども、いまは、それをしている自分を自覚している。
あきらめたのだ。
想いが、わくことを自分には、そういう癖があると認めたのだ。
それが、出てきたら、丁寧にひとつひとつの軌道修正をすればよいと、決めたのだ。
心配に心配を重ねるほど、いまは、暇がないのだ。(笑)