11月9日、新潟県立新発田農業高等学校へ。(長いけど読んでね) 行く前から、関心のある学校であった

今までも、学校へ出向く際には、ホームページで学校情報、地域情報を確認し出かけた。と同時に、担当の先生からの講和内容のテーマを確認し、話す内容を決める。

今回、新発田農業高校って、どこかで聞いたことあるなあ~と思っていたら、実は、甲子園の出場校だった。

又、調べてみたら、農業高校として、全国でもかなりの実績のある学校であることが分かった。

日本農業全国大会農業鑑定競技会で今年も8人が最優秀賞や優秀賞を受賞している。高校生にこのような競技会があること自体知らない人が多いのではないでょうか。

学校の設立は、明治に遡り、古い歴史を持つ伝統ある学校です。

大田校長先生のお言葉曰く「本校は、農業に関する研究者、指導者、経営者を育成する学校、地域社会に貢献する有為な人材を育成する学校」です」と。・・・・・

 さて、今回ほど、話す内容に、悩んだことはない。

何故かというと、見てください。

事前学習で沖縄について、私以上に知っているのではないかと思われるほどの内容で、学習しているのです。

担当の先生からは、戦後の沖縄について、1945年の敗戦で、戦争終了とは言えないということ・・戦後のいくつかの出来事を通して沖縄県民として高校生に一番訴えたいことを話して欲しいとの要望がありました。

 映像で、写真で、記事で、現在の沖縄の農業や生活なども、いろいろと学んでいる高校生でした。担当の先生方が、教育としての修学旅行をどのように位置づけているのか、生徒へ教えたいこと気づかせたいことが痛いほどわかる資料でした。

戦後の沖縄、米国当時時代の沖縄、

まさに、私が生きてきた時代です・・・・

琉球列島高等弁務官発行「琉球住民 牧志厚子は 日本国へ旅行するものであることを証明する」と書かれたパスポートで初めて本土の土を踏んだのが、今から60年前の中学2年生。

話したいこと山ほどありです。

しかし、沢山学んだとはいえ、高校生にとって、沖縄の現地での民泊も含め、空の色も、空気も、違うことを那覇空港に降り立った瞬間に感じるはず・・・・複雑な歴史を踏まえ、戦争で何を教えるか、沖縄の人が何を訴えているか、今も何が起っているのか・・・イチャリバチョウ―デーの心意気など、単に言葉だけでなく、何を意味しているのか、平和の礎に名前の分からない子の名前を残しているのは何故なのか、戦場に教え子を送り出した父、戦後も教育界で活躍した父が死ぬまで戦争について語らなかった心とは何なのか、戦争は、人が人でなくなる・・・・その真意は何なのか?

復帰後6年経って沖縄ソバと認めれるようになった沖縄の心意気は何か・・・・・・・

・・・・戦後の沖縄の置かれたことを高校生に話すのは難しい・・

しかし、戦争を体験した人たちの想い、なぜ基地に反対するのか…何故、ジュゴンが消え、サンゴが白化現象を起こし、日本一のモズクの生産地が脅かされているのか…具体的なことを通して話したい・・・・と、思った。が、話しきれなかった・・・・

まじめに、寒い体育館で、身じろぎもせず聞いてくれた生徒達でしたのに・・・・・・・

担当の先生の想いが私には痛いほど分かっていたのに、何故か、心残りする時間であった。

最後に、生徒から質問が2つ。その一つが、

(あなたは、沖縄の人で良かったですか?)

(はい、沖縄に生まれ、沖縄に育って、沖縄の人で良かったです。故里沖縄を誇りに生きてきました。私の原動力は沖縄にあります・・・・・・・・」と。

先生からは、

(生徒の中には民泊することに不安がっている生徒もいます。私の体験では、かつての生徒たちは、民泊の後での分れの際には、涙ぐんでな泣いて別れるほどでした。・・・何かアドバイスを・・・・)

「アララ~、何にも心配いりません。きっと、みなさんに新しい家族ができます。沖縄の人は、本当に明るく、誰とでも、イチャリバチョーデの心意気で接してくれますよ。皆さんが来るのを楽しみに待っていますよ。きっと、今帰仁の民宿では、第二の家族、第二の故里ができます・・・・・・・・・」

生徒代表のあいさつも立派でした。

「・・・・・沖縄戦の実写の場面などを見せてもらったり、お話を聞いて、自分たちと同じ年代の生徒たちが戦争に巻き込まれ尊い命を落としたことを沖縄の地でかみしめ、これからの未来をを担っていきたいと思います・・・・・・」と。

又、生徒たちが育てた新潟産コシヒカリの新米と、手づくりリンゴジャムとブルーベリージャムをいただきました。

さっそく炊いてみました。つやつやと噛むほどにあまく、香り高いご飯でした。イッペーマーサイビタン! イッペー二へーデービタ!

学校を去るのが惜しい。終了後はもう真っ暗した。丁寧にご対応いただきました大田校長先生、ご担当の斎藤先生はじめ、関わってくださった先生方に感謝でいっぱいです。

心遣いとは、なんなのか、今日のたった70分の私の講和に、関わる人が一致して行動できるのかを学ばせてもいただきました。

「教育は人なり」でした。